お雑煮は神様の“おかげ”を頂くこと


泊まりがけで嫁の実家へ年始の挨拶に出かけた。
舞鶴に帰ってみれば北部の寒さと天候不順が身に沁みる。




山寺に帰ると、舞鶴出身の版画家である田主誠先生から年賀状が届いていた。
茨木市立河端康成文学館で「山頭火の風景」という版画展をされるとのこと。


     春が来た水音の行けるところまで   山頭火





朝から時々、雪が降る。
止んだかと思うと時々強く降る。


気温はそれほど低くないらしく、湿雪である。
午後からは次第に雪がゆるみ始めた。



本日は正月の飾り餅を下げた。
昔はひと月くらいお餅を食べていた記憶があるが、最近はそんなこともなくなった。
昔は来る日も来る日もお餅というのがかなり嫌だった記憶がある。



御正月といえば御雑煮である。


「雑煮」というくらいだからいろんな具が入ってそうだが、ウチの御雑煮はお餅と八つ頭くらいしか入っていない。



今月号の「寺門興隆」に正月になぜ鏡餅や屠蘇や雑煮を食べるのかという記事が載っていた。


要点を述べるなら門松は歳神の依り代であり、鏡餅は歳神への御供えものであると同時に、歳神の依り代であったのだという。


雑煮とはこの依り代となった餅を頂くことで「御魂分け」(みたまわけ)をして「おかげ」を貰ったのだ。


ではこの歳神とはいかなる神かというと、柳田国男によれば一年を守護する神、農作を守護する神、家を守護する祖霊をひとつのものとして祀ったようである。



ちなみに正月料理を「お節」と呼ぶが、もとは節日(せちび)すなわち節句、盆など節日を祝う馳走は全てがお節であったらしい。お節は五穀豊穣、不老長寿、無病息災を祈願して作るものである。



お正月というのはどんどん特別な日ではなりつつあるが時々はそんな故事を反芻してみるのも悪くないだろう。




昨年、大病したという友人にあったら「去年はあまり良い年ではなかったから、今年は良い年にしたい」といっていた。


切り替わるという意識を持つことはとても大事だと思う。


特に新しいことにチャレンジしたいとか、これまでのあまり良くなかったことをリセットしたいという時に、お正月という、世の中全体が切り替わるタイミングを利用するというのはとても良いことだと思う。



本年も皆様に大きな飛躍が訪れますよう御祈念もうしあげます。  合掌

                                      ぶろぐ坊九拝


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