道場の明かり

昨日は京都に出かけた。
いろいろな用事をすませたあと最後に本山に立ち寄った。
とにかく一日中、いろんなことがあってかなり疲れていたのでその日は本山に泊まることにした。

大きなお寺には大抵、宿坊がある。私達の本山では「会館」とよんでいるが、その規模や施設はお寺により様々である。
比叡山では宿坊を大改装してホテル並みになったそうである。かと思うとお風呂が無くて、銭湯に出かけなくてはならないような宿坊もある。
友人があるお寺の小さな宿坊に泊まったら、同宿したのは旅回りの芝居の一座だったという…なかなか得がたい経験である。

ウチの本山の宿坊ははっきりいって老朽化している。やたらと音の大きなクーラーとか今時どこにも売ったないようなスリッパとか、中に居ると20年くらい前の時代にタイムスリップしたかのようである…
小さな浴槽で汗を流したあと、急にコーラが飲みたくなった。
会館の前に自販機が並んでいるので、その横にあるベンチでコーラを飲んだ。
本山の境内は三万坪あると聞いたことがあるが定かではない。
境内には多くの伽藍があるが、その背後には広大な丘陵が広がっていて、イノシシも住んでいるそうである。

日中は30度近い暑さだったが、日が暮れると涼しい風が吹き始めた。
自然が多いと夜の風はひんやりと湿っている。その風にあたってコーラを飲んでいると少し疲れが取れる気がした。

会館の向かいには修行道場がある。
一年間そこで修行僧としての務めを終えると、僧侶としての資格を認可される。
入り口には竹の棒が一本横に渡してある。
これを結界と呼んでいるが、この竹の棒が門扉の代わりである。

食堂(じきどう)に明かりがともっていた。
話し声が聞こえ、やがて読経の声になった。
真言宗にとって最も大切なお経である「理趣経」だった。
食堂でお勤めをすることはない。新聞もテレビも無く、もっと手近にある活字といえばお経の本しか無いので、無聊を慰めるのに不意にお経や声明を唱えたりすることがよくあったことを思い出した。

暫くして明かりが消えた。消燈時間になったようだった。
4月から6名始まった修行道場での生活も少し慣れた頃である。
もっとも既に一名が退山したと聞いたのでやはり大変なようである。
道場での生活を思い出し、後輩達の健闘を祈らずにはいられなかった。