お経には何が書いてあるのか?〜心の中にあるカーナビのようなもの〜

 境内の向かいにある鹿原公園に毎晩イノシシがやってきては、芝生をひっくり返している。
 公園の芝生は無残な有様になってしまった。イノシシはどうやらミミズを探しているらしいのだが、ミミズから摂れるカロリーより土を掘り起こすことで消耗するカロリーのほうが多いように思うのだが…


 以前、法事の席で質問を受けた

 お経には何が書いてあるのですか?


 なかなか鋭い質問で一瞬どう答えていいか迷ったのだが(笑)

 こだわりを捨てなさい 自分についてのこだわりを捨てなさい

 …という事ではないでしょうか?とお答えした。

 この答えが到底良い答えだったとは思っていないのだが、幸せになるためには
 自分へのこだわりを捨てるというということはとっても大事だと思っている。

 お寺にお参りに来られる方はいろんなお願いをされるが、そういった方と話していると、

今の自分から変わりたくない、でも幸せにはなりたい

 という本音を感じることがある。
 自分の中のこだわりが実は不幸の大きな原因なのではないかと思うことがよくある。

 こだわりといってもかなり広い意味で使っている。
 世の中には自分は幸せになれないと思っている人が大勢いる。自分が幸せになれないというのもやはりこだわりではないかと思う。


 私は何をやってもダメ 私は不幸だ 自分なんかどうせ…  

 といった考えに陥ると人生がどんどん悪い方向へ行くような気がする。

 私たちに心の中には高性能のカーナビのようなものがあるのではないか?
 
 

 と思うことがある。

 検索サイトに調べたい言葉を入れようとすると、自分が既に調べた言葉が候補として表示されることがあるがが、ちょうど心のカーナビにもそういう機能がついているように思う。

 「自分の人生はデコボコ道だった」と思っているとこのカーナビが勝手に「デコボコ道」を検索してその人の乗った車が「デコボコ道」のある道路に向かって走り出してしまう…そんな感じである。


 もうひとつのポイントは自分を否定する思いというのはとても強いエネルギーを持っているのではないかということである。

 私は自己否定や自己嫌悪の感情を強く持っている人と一緒にいるとぐったりしてしまうことがある。こうした感情は自分を否定しているようでいて実はとても強いパワーがある。
 カーナビに行き先を「デコボコ道」とインプットして、ハイオクのガソリンを満タンにしてアクセルを一杯にふかすようなものといえば言いすぎだろうか。

 幸せになりたいと願うのは自然なことである。
 こだわりを捨てるともっともっと楽に、自由になれる。そしてかならず幸せへの道が見つかる…そのことを大勢の方に知ってもらいたいと思っている。

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