我は虻なり

【山寺の本棚】

夜8時頃外出先から車で山寺に帰った。

山門の手前で茶色い生き物が道を横切った。この生き物はよく見かけるのだが名前は知らない。体躯はやや縦長でイタチのようだが肉付きがよい。大きさは猫と同じか一回り大きい。体毛は茶色である。私に知っている動物ではビーバーに一番似ているが、まさかビーバーがいるはずもない。とりあえず“ビーバーもどき”と呼んでいる。

ビーバーもどきの後を追うように今度はアライグマが横切った。アライグマは尻尾に輪があるので分かりやすい。やはり猫ほどの大きさである。これで終わりかと思ったら、そのさらに数メートル先をもう一匹のビーバーもどきが横切った。

動物多すぎです…



参議院なんかいらない (幻冬舎新書)

参議院なんかいらない (幻冬舎新書)

昨日、ブログを書いた後、「参議院なんていらない」という本をパラ読みしていたら、「虻(アブ)の障子打ち」という故事が載っていた。
97年に小沢さんの自由党が政権を離脱を企てたときに村上正邦氏※が小沢さんを説得するのに次のような禅宗の教えを引いて引き止めたというのである。昨日ブログに書いたばかりの内容と少し重なるので面白いと思った。

※ 参議院自民党幹事長、議員会長を務め、野党にも及ぶ政治的影響力から「村上天皇」の異名をとった。

江戸時代、破れ寺にいる禅の和尚さんに、ある人が相談に行ったところ、一匹の虻がいて、障子の桟のところに飛んでいっては頭をぶつけて畳に落ちる、それを何度も繰り返している。それを見た和尚さんは、相談者に対して、“よく見なさい。虻は広い世界に出て自由になろうとしている。ところが、何が何でもあの障子のあの桟でなければならないと思いこんでいる。かわいそうに今に死んでしまう。”と教えるんです(田中忠雄著『禅からの発言』曹洞宗宗務庁版)。小沢さんにこの話をして、「あなたも一つのことばかり考えている。だから出口が見えなくなるんだ。もっと全体を考えたほうが良い。そうしないと虻のように死んでしまうよ」と。そしたら小沢さんも「そうか、俺も虻になってしまうか。それはそうだ」と言うので、「そうだよ。今日はもう帰って一晩ゆっくり考えれば違う出口が見えてくるよ」と言ったんです。
 これで自由党の連立離脱という最初の危機は乗り越えることができた。(同書 117p)

自分というのは絶対的存在であるし、その自分が直面している問題も絶対的存在である。
必死にもがいている自分をもし一匹の虻のように見下ろす視点が得られたら、全く違う世界が見えるかもしれない。

我もまた虻なりや…



    虻の影障子にとまる小春かな  也有

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