無縁墓 「末富」と「企てろ。」 この世は素晴らしいという教え
昨日、朝7時頃電話が鳴った。
檀家さんが亡くなったのかと思ってちょっとドキドキしたのだが電話の主は年配の檀家さんだった。
御主人を亡くされ独居されているが実にしっかりとされている方である。
昨日、村人足の掃除で無縁墓に行ったのだがどうしても気になるの供養してほしいと言われた。
(村人足というのは地域で掃除などの奉仕作業に出ることである)
案内されるままに細い山道を通って山手に入っていくと初めて見る広い墓域があった。
斜面に古い小さな石塔や地蔵が置いてあるのだが、その数は100近くあるのでちょっと驚いた。
沢山の無縁仏は祀られているのだという。
有縁無縁の方を弔うというのは大切なことだが、自分の直接関係の無い方にも心を向けて供養するというのは大切なことである。
供養を終えてからば檀家さんもかなりの高齢になられていたという記憶があったので年齢をお尋ねしたら
「94歳です」
とニコニコして答えられる。
そんな高齢で奉仕作業に出仕されているとは…と驚いてしまった。
午後はお客さんが2組。
いずれもごく親しくお付き合い頂いている方でお2人ともお菓子を召し上がる。
先輩のお坊さんから頂いて大事にとっておいた「末富」のお菓子をお出しした。
大抵の京銘菓は京都駅近辺で手に入るが「末富」などいくつかのお菓子はなかなか手に入らない。繊細な味付けが絶妙である。素材の味や食感の配合が実に素晴らしいのである。
1人の友人は最近発刊された雑誌を持参して下さった。
この方は学生の頃から地元のあり方を考えるためのフリーマガジンを発刊しておられるのである。
この方とお話していると若いというのは素晴らしいなと思う.
主に地域活性化についてお話したがやはり自分が納得して楽しく暮らすことが大事なのではないかという気がした。
日本の地方自治体では誘致や観光事業など活性化への取り組みはいろいろ行われているが何か大切なものが欠けているような気がする。
やはり自分自身で納得してその地域で暮らすという意思や志のようなものではないかという気がしているのだが。
仏教における蓮華について詳述した記事をみつけました。関心のある方はご参照ください。
様々な角度から蓮華と仏教の関わりについて述べておられ大変に素晴らしいと思います。
【http://members.jcom.home.ne.jp/takanuma/renge/renge.html】
仏教における蓮華のイメージというのは実に多用だが
蓮華蔵世界といって蓮華があらゆる生命を生み出すという世界観がある。
蓮華とは単なる花ではなく、蓮華とは聖性そのものであり、絶対性、無限性を伴った生命観を包括しているのである。
「華厳経」の説く世界では私達の住むこの世界が蓮の一葉の上に存在し、この世界にはそうした世界が無数に存在しているとされる。
ちょっとパラレルワールドに似た世界だが、世界全体が超越的なる蓮華から生まれということはこの世界を構成する全てに聖性が遍満していることにつながるのではないかと感じる。
このことは、もっと単純には「この世は素晴らしい」という強い肯定感につながるではないかと思う。
奈良の大仏は華厳経の説く理想世界を具現化したものであるが、同時代にボロブドォールの巨大仏教遺跡が建設されている。
ボロブドォールは総面積1.5万平方メートル、高さ33.3メートルという巨大な伽藍である。
東大寺の大仏が華厳経の説く世界を具現化したように、ボロブドォールの遺跡にも膨大なレリーフが施され、そのかでも「華厳経」の善財童子が53人の師を巡る話が彫刻されている。これらはほぼ同時代に行われた。
この2つの巨大な仏教遺跡にはなんらかの共通項がるのかもしれない…とふと思った。
華厳経の中には巨大な理想世界を実体化させずにはいられないような何かが含まれているのかもしれないと思ったのである。
「華厳経」の説くこの世は素晴らしいという大肯定と大安心が大伽藍への情熱につながったのであろうか。
南無華厳経
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