西日本豪雨 星に願いを 

昨日は大雨の影響で午前中に予定されていた法事が正午開式に変更。



一昨日とうって変わった好天となり家でのお勤めとお墓詣りまですますことができた。



法事の後は兼務寺院への見回り。



砂防堰堤が決壊して大規模な土砂崩れとなり電気、電話も一時不通となった。現在は電気のみ回復。

かなり大規模な崩落らしく詳しい方に伺うと「国レベルの復旧工事が必要で本格的な復旧には2、3年が必要かもしれない」と。


お盆も近いというのにどうなることやら…









今回の豪雨は長く記憶にのこるであろう傷跡を西日本に残した。

既に120名を超える方が亡くなっている。




七夕の豪雨として語り継がれるに違いない。




いつの間にか七夕の短冊がかけてあった。


「〇〇さんと仲良くなれますよう」


「泳ぎが上手になれますように」


そんなのはいいとして…


「自由になれますように」


「ストレスがこれいじょうたまりませんように」


意味不明の短冊もかかっていた…











七夕の短冊というのは一体何に願いを叶えてもらうのだろうか。



織姫と彦星はもともと勤勉な若者であり、特に天の神様の娘である織姫は真面目に天の機織りを行っていたが、結婚を機に遊んで暮らすようになり、天の神様の怒りに触れて引き裂かれてしまったという。


芸能人でも時々、結婚を機に人気が下降する人がいるが似た感じだろうか(笑)




人間的ではあるが、この2人が人々の願いを叶える力はない気がするのだが…


ならばこの2人を引き裂いた天の神様に願いを叶えてもらおうというのだろうか。



それもちょっと違う気がする。



天の神様の具体的なイメージがどこにもないからである。



私たちは機会をとらえて願い事をしてしまうが、日本では神仏との関係が願い事を叶えてもらうこととひとつになってしまっている観がある。


その点、キリスト教イスラム教の祈りには神に帰依するという祈りが間違いなく存在しているように思う。


仏教の在家勤行は三宝に帰依する三帰から始まることが多いが、このことはとても大切だと思う。


自分のお願いではなく、ただ神仏に帰依するという純粋な気持ちを持たないと加護や利益(りやく)そのものも無いと思う。


言い換えると困っている人を助けたいとか可哀想な人の為に祈るという無私や利他の心をもつ者に加護や利益は与えられるのだと思う。


まずは今回の災害で亡くなった方々のために冥福を祈ることが必要だろう。

                            合掌


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