“真田丸”秘話

 


NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 真田丸 (NHKシリーズ)

NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 真田丸 (NHKシリーズ)




昨日放映の歴史秘話ヒストリア「徹底解明!これが“真田丸”だ」…


実に面白かった!


【関連記事】http://www.nhk.or.jp/historia/



歴史好きではあるが専門的な研究がどのように進んでいるかなど全くの素人同然であるが、時間と手間をかけた取材で次々と定説を覆してゆく…




真田丸というのは大阪城の城郭から半円形に造成された出城とされていたが、




真田丸は城郭からかなり離れた位置にあったという。





電磁波による地下の探査や終戦直後に米軍が空撮した写真から真田丸があったのは真田山町(これまで真田丸の有力候補地)からやや大阪城寄りの餌差町(えさしまち)であるとしている。


真田丸が出城ではなく



大阪城から離れた(孤立した)要塞だったという説は新鮮。





大阪城から孤立している要塞となれば格好の攻撃目標となるのは自明…





真田丸の形状についても従来は半円形とされていたが、台形(四角形)であったという。






大阪城を取り巻く寺町の一角、崖を後背とした台地の部分に、高台にある寺を幾つも包含して作られたという。高台の地形を利用したことで四角形になったのであろう。





真田丸の攻防といえば、平地に一夜城の如く忽然と現れた真田丸に徳川勢が攻め寄せる…と描写されてきたが、そうではなく、一種の市街戦であったという。





狭隘な寺町の市街を進むと忽然と現れる巨大な空堀(深さ10m×幅40m?)、空堀に落ちれば銃火の的になり、隘路に進退極まって密集するところを狙撃される…



真田方には射程300メートルという大型の鉄砲“大狭間筒”が装備されていた。通常の火縄銃の射程(100〜150メートル)の倍以上で、その破壊力は脅威であったの違いない。





さて真田丸の真実の姿はどのようなものであったのか…興味は尽きないのである。





般若心経の真実

般若心経の真実






「般若心経の真実」を楽しく読んでおります。




いつも感心するのは本のカバーや帯のかかれている告知。



簡要にして読者をいざなうようでいつも思わず手にとってしまう。




カバーにこう書かれている…



『インドの大乗仏教史の最後を飾るものは密教つまり金剛乗の仏教であり、インド教も信仰の実際面ではもっぱら密教 すなわちタントリズムの方向へと発達し、今日に及んでいる。「般若心経」は大乗仏教密教化の作品なのである』






本書は前半が表題の「般若心経の真実」で、後半はヨーガに関する講話集となっている。




講話の内容は「ヨーガと宗教」「ヨーガと根本」「ヨーガと神経」「日頃のヨーガ」「インドのおける気の概念」「インドの道場におけるハタ・ヨーガ習得の実際」。



著者の般若心経論は100ページほどの分量。




その語り口は好々爺の碩学が年若い学生に噛んで含めるように説き聞かせるような調子で綴られているが(丁寧慇懃すぎて時々笑ってしまう)、真綿の中の針の如く、鋭い一閃が要所要所に感じられる。





ただし内容を玩味咀嚼するには時間のかかる部分も多い…なかなか手ごわいのである。



本日は身辺雑事が多かったのでひととおり全体に眼を通しただけである。








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