栗原さんのおじゃが   尊きは仏の頭のてっぺん 

大きな行事である節分が終わって一息ついたところである。


明日から天候が崩れるとのこと。






栗原はるみさんのレシピでジャガイモを煮つけてもらったらとても美味しかった。


調理はすごく簡単。茹でたジャガイモを醤油砂糖で味付けするのだが、しあげに少しバターを加えるのである。


色も飴色がかったジャガイモがあんまり美味しそうだったので写真をアップしようとしたら、カメラを取りにテーブルを立とうとしたはずみにおじゃがの鉢をひっくり返してしまった。というわけで写真はアップできませんでした。残念…






真言宗では真言と並んで陀羅尼という呪文が唱えられる。


(「呪文」というと何かおどろおどろしいのでせめて「仏呪」とか「仏の言葉」と言ってほしいくらいである。)


真言宗で用いられる中で一番多い陀羅尼は阿弥陀根本如来であろう。
陀羅尼のなかに「仏頂尊勝陀羅尼」というのもある。


仏教の中には仏(仏陀)の頭頂を尊いものとするという考えがあったようである。


仏が尊いというのは容易に理解できるが、<仏の頭のてっぺんが尊い>というのは面白い…


(仏像で肉髷といって頭部が隆起したように作られるのと多分関係があるだろう)



ここで想い出すのはヨガである。


ヨガでは人間の身体に霊性を司るチャクラというセンターがあるとされる。このチャクラは身体の正中線に沿って7つあるとされる。(異説あり)


身体の下方から上方に行くに連れて高度なチャクラとされ、頭頂のチャクラが最高・最勝のものとされた。



どう考えても関係があるとしか思えないではないか。


(「仏頂面」などという言葉があるのも面白いが今回は割愛)


お坊さんの専門誌「寺門興隆」に「頂相」の話が載っていた。(2013年2月号)


「頂相」とは仏の尊い頭頂部の相貌を指すが、そこから転じて尊い師や祖師の肖像を指すようになったらしい。


特に禅宗では印可状の一部として悟りを認められた弟子に肖像画を与えたことから、(“卒業証書”のようなものか)禅宗の普及と共に「頂相」が肖像画の意味合いになっていった。


また葬儀や法要でこの頂相を用いることが多いことから、今日葬儀で一般化している遺影のルーツともされている。


仏頂というのは密教で重視されるが、それが禅宗では肖像画の呼称になり、葬儀の遺影になっていったというのは面白い。


仏教の歴史は長く、深いので時に全く意外ともいえる影響を現代に残していることがある。




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