ご飯を食べないと太る?

  


  山寺のスピリチュアル問答 その1



山寺にはテレビが無い。

老僧(父)がかなり変わり者でテレビを置かないことを宣言して20年以上経つ。母は未だにテレビ欄を熟読していて「今週の《ちりとてちん》では主人公が大変な目に逢うらしい」などと言う。よほどテレビが見たいらしい。

そのくせラジオが殆ど一日中鳴っている。
最近、面白い海外ニュースを聞いた。イスラム圏で

と ころがラマダンの断食は日没までと決まっていて、多くのイスラム教徒が日没と同時に猛然とご馳走を食べ始めるのだという。その結果、ラマダンになると太る人が続出するという。

仏教では本来は僧侶の食事は2食(朝食と昼食のみ)が戒律で定められていたようである。

私の本山でも修行僧は2食に決められていた時期があったそうである。

私の頃は頃は既に3食だった。朝食と昼食は厳格な作法があり、改良服という僧衣を着て席に座り、お経を読んだり、ご飯をお供えしたりという作法がある。食事中に会話してもいけないし、音を立てて食べてはいけない。お代わりもできない。ところが夕食は正規の食事ではないというので作法もないし、お代わりも自由である。

世界で最も敬虔な仏教国のひとつであるスリランカでは高僧ともなれば総理大臣ですらかなわない権威を持つ。スリランカの僧は一日2食という戒律を現在も厳格に守っている。3食しっかり食べ、オヤツや夜食まで食べる私とは大違いである。ところがスリランカのお坊さんは殆ど例外なくといっていいくらい物凄く太っている。というのは2食食べるその量が半端でないからである。これも少し変な話である。

戒律を守るということは、教えに帰依する上でとても大切である。
食欲は人間にとっての根本的欲求であり、肉体的欲求をコントロール行為はとても大切である。

しかし、本来少食ということが求められているにもかかわらず、太ってしまうというのは何かおかしい。

もうひとつ考えなければいけないのは、戒律というのはそれが定められた当時の生活環境を反映しているということである。

本山では種智院大学のK先生の講義を受けていた。
とても優秀(というと偉そうだが)で、また私たち修行僧(一応)の心の機微の分かる方だった。

ちょうど私達が本山に居た頃、タイガースが破竹の進撃を続けていて、外界から遮断されていた私たちはもちろんそのことを知らず、K教授がのんびりした京都弁で「阪神優勝しそうですなあ」と言われた途端、ほぼ全員が「おおおっっ」と歓声を上げたのを思いだす。

閑話休題

このK教授によれば僧侶の食事が2回と決められたのはインド特有の事情があるという。

僧侶の食事は托鉢によって得ることが厳しく定められていた。
ところが蒸し暑いインドの気候では托鉢して置いておいた食物を晩御飯にとっておいたものが腐敗して僧侶が食中毒になることがあった。そのために食事を2回にする、つまり夕食を食べないという規則ができたようである。

なかなか興味深い話である。

宗教は矛盾に満ちている。もちろん仏教も。