「いいバーの条件」東理夫

「いいバーの条件」東理夫(<「文藝春秋2007年10月号」)

お寺の本棚


御世話になっている檀家さんで「文藝春秋」を読み終えるとお寺に持ってきて下さる方がいて、住職と私はこれを楽しみにしている。

私は「文藝春秋」の中では巻頭の随筆が好きである。

今回は「いいバーの条件」(東理夫<「文藝春秋2007年10月号」)が良かった。
とにかくかっこいい。スマート。上品。男っぽい。知的。
こんな生活をしてこんな随筆が書ける東氏がちょっと羨ましい。ある意味、山寺とは対極の生活である。

筆者はそのバーがいいバーかどうかを知るには開けたてに行くと良いという。
このあたりの文章を引用したいが長くなるので止める。機会があったら読んでみて頂きたい。「いいバーの条件」とはそのバーにふさわしい客の条件である。背筋を伸ばしてグラスを手に持つ筆者の姿が眼に浮かぶ。


私は殆ど酒を飲まない。

ただ東京に居た頃、高田馬場にあったバーに時々行った。
馬場というのはとても泥くさい街である。サラリーマンと学生の街である。雑居ビルの中にあったそのバーは経営者がマデラ酒やポルト酒の専門的な知識を持っていて。リストの最後はそれらの名前が並んでいた。

これら酒の持つ甘みというのは「純粋な甘さ」と形容したくなるほどで、よく知っている砂糖の甘さがひどく不純なものに思えてくるようだった。さらりさらりと喉を通り身体に沁みていくような味だった。

山寺に住んでいて時々都会が懐かしくなることがある。