集中力の不思議


私は肝心なことはすぐ忘れるくせに、どうでもいいようなことをやたらと覚えていて困ることがある。

先日YouTubeでお笑い系の動画を観ていて、インパルスの「ヨハン」というコントを見つけた。
NHK爆笑オンエアバトルで見て面白いと思った記憶があるが、もう5年以上前に見たはずなのに細かい部分を覚えていた。(「ヨハン」はいくつもバージョンがあるがやはり「ヨハン1」が面白い。設定の妙というか、役にハマッている感じがいい)


人間の集中力と記憶の関係というのは面白い。

集中力というと一点に集中するイメージがあるが、特別な感動や歓びを体験した時のことを思い出すと、むしろ周囲の風景をとても鮮明に覚えているということがある。

小学生の時、小松左京SF小説「御先祖様万歳」を夢中になって読みふけったとき、それが薄暗い階段に座っていたこと…

中学生の時、亡くなった祖母の作っていたトマトがとても美味しく感じられて、それを食べたときのキッチンの窓に差す明るい光の感じ…


最近、時々子供の頃の記憶が鮮明に浮かび上がってくることがあって興味深い

以前に紹介した「COMICS 壁をブチ破る最強の言葉 桜井章一」(みやわき心太郎 ゴマブックス)を読んでいたら、桜井氏と格闘家のヒクソ・グレーシーの対談の部分で「集中力というと、精神を一点にあつめることのように考えがちだけど、本物の集中というのは、その一転を広げた円の形をいう」という桜井氏の言葉を見つけて面白いと思った。
桜井氏のような超一流のプロの言葉に凡人である私ごときの体験を引き合いに出すのは笑止だが、夢中になったときというのは、もしかしたら私達の中で「何かがはずれる」のかもしれない。

そして自分を縛っているのは案外、自分自身という意識なのかもしれないとも思う。

「無我夢中」という言葉があるが、何かに夢中になっているとき、物事に一生懸命に打ち込んでいるとき、私達は自分を狭めている小さなエゴから解放される<無我>の時間を体験できるのかもしれない。