心が喜ぶ! 「孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義」(文藝春秋)

【山寺の本棚】

今日も猛暑日である。

昨日は京都市内へ出かけたが、地下鉄の階段を登ろうとすると、不意に蝉の声が固まりになって降ってきたように感じた。
蝉の鳴き声が地下鉄の階段を下り、通路を伝って来る。ちょうどトコロテンが押し出されるように蝉の声が直方体の固まりになって私の体に被さってくるのだ。

地下鉄の出口のすぐそばに街路樹があり、そこに沢山の蝉が鳴いていた。
市街は蝉の止まれる樹木が少ないのでその樹に果物でもなっているように蝉がとまっていた。
その蝉の鳴き声がすぐそばにある地下鉄の入り口から内部に降り注いでいたのだった。
地下鉄の通路は巨大な伝送管のように蝉の声を伝えていたのだ。


先日、小学3年生の男の子を連れた若いお母さんと立ち話をした。
男の子があまりに疲れた様子であったので理由を聞くと、サッカーの練習が終わったばかりとのことだった。炎天下にかなりの猛練習をするのだそうである。

「こんなに疲れていても家に帰ったらゲームをするんですけどね」とお母さんは笑った言った。

親子と別れた後、考えたことがある。
サッカーの練習でへとへとに疲れて帰って、宿題はする気も起きないが、ゲームは喜んでできる…そう思うと、人間にとって喜びはエネルギーなんだと思ったのだった。
喜んだり、わくわくしたり、夢中になれること、それらは全て巨大なエネルギーを人間に与えているのだなと思った。その巨大なエネルギーは時に人間の生きる希望や勇気となってその人生を支えているのだと思った。

私達大人は往々にして純粋に喜ぶという体験を失いつつある。
疲れてへとへとになっていても、やっぱりそれが眼の前にあると元気が出てくる…
そんな対象を私も見つけられたら…と思う。

 京都に行ったとき八条口アバンティブックセンターで津本陽氏の「孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義」(文藝春秋)を買った。


 合気道という武道の中でも、大東流の佐川幸義氏は超絶的な名人として知られた人物である。
武道の高段者や高弟が「本気で」かかっていっても僅かに触れただけで、その戦闘力を奪い、無力化してしまう。その技は恐ろしいまでであったとされる。
 津本氏は歴史小説家として当代一流であるが、自身も武道歴が長く、実際に佐川師の門弟であったという恵まれた条件のもとで本書を書かれた。
 その意味で佐川師の生涯を知る上で格好の書である。
 佐川氏の高弟の木村達夫氏は講談社から佐川氏についての著述「透明な力」を刊行され、以後、佐川師の超人的な技が知られるようになった。
 私は「透明な力」を読んだとき、佐川氏のあまりに圧倒的な術技に感嘆し、それから数年の間、幾つかの武道を鍛錬した。途中で肩を壊して、武道に対する取り組みを断念せざるを得なくなったが、「透明な力」は眼につく場所に置いて、折に触れて読み返したことを懐かしく思い出す。

「孤塁の名人」や「透明な力」には武道に魅せられた多くの人々が登場する。
強くなりたいという思いが、幾十年か積み重なったとき、武道家として素晴らしい開眼を得ることができる。或いはそれが徒労に終わることすらある。
 細くて、険しい道のりである。
 だが、まだ見ぬ「無敵の強さ」というものに憧れ続け、心を砕く男達の生涯は美しく、輝いている。
 自分はこれほど何かに夢中になれるだろうか?これほど何かに本気になったことがあるだろうか?
 そんな思いで心を新たにできる素晴らしい本である。