心を強くしてくれた言葉
本山での修行を終えてこの山寺に帰って2年くらいたった頃だろうか、自信を無くして落ち込んでいた時期があった。
お坊さんとしても駆け出しでやるべきことは一杯あり、失敗ばかりしていた。そしていろんな人から住職がお寺の復興にどれほど努力したか聞かされ、果たして自分はそんなことができるだろうか…と煩悶していた。
その時、或る本に書かれてあった言葉を見て急に元気が出た。そこには
無一物は無尽蔵
と書かれてあったのだ。
お坊さんとしてのスキルは無い、経験も無い、お金も無い、檀家も無い…そんな忸怩とした思いをこの言葉が一喝して打ち破ってくれたように感じたのだ。
最近、別の機会にこの言葉を眼にした。
その時気が付いたことがある。「無一物」とは何も所有していないということではなく、心に拘りや思い込みがないことなのではないかということである。
私達は自分の立っている場所から360度どの方向へ進める時ですら「自分は〜ができない」「自分は〜したくない」そんな思いにとらわれて、自分の歩める道は狭く、細く、限られたものにしてしまっているのではないかと思った。
心の拘りを超えられたとき、無尽の人生が開ける…自分が悩んだ実感として少しだけこの言葉が理解できた。
この言葉は禅家の言葉だと思っていたのだが、ブログに書くため調べたら中国の詩人蘇東坡の一節と書かれてあった。まだまだ勉強不足である…
「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう) 花有り月有り楼台有り」
この言葉の解説については下記のサイトが詳しく参考になった。併読していただけるとありがたい。