デビルマンの深淵
昨日、地元の中古書店にて永井豪「デビルマン豪華愛蔵版」(講談社)を100円でゲット。
作者の書いた後書を読んでいたら、急に読み返したくなったのだ。後書の冒頭にはこう書かれている。
二十年間に渡る僕のマンガ家歴の中でも、『デビルマン』を描いた時ほど、創作する上で、精神的充実感を味わった事はありません。
作者によればデビルマンの原イメージは幼い時に読んだダンテの『神曲』であるという。
ダンテが地獄界の最下層で下半身を氷漬けにされた巨大な「悪魔の王ルキフェル」に出会うシーンがあるが、その姿が「魔王ダンテ」と「デビルマン」に受け継がれていったのだという。
それにしても、この作品の持つ圧倒的なエネルギーやダイナミズムは尋常ではない。
どこか人間の心の深い淵を垣間見るような感覚がある。
突拍子も無いが、私は人間の心の中には悪魔、魔人、鬼、といったような存在が融合した原イメージが存在するのではないだろうかと考えている。
それは《人間の獣性》といった観念的なものではない、もっと生々しいものである。
それがダンテの『神曲』のルキフェルを生み、永井豪の『デビルマン』を生んだと私は考えている。
ガンダムシリーズのモビルスーツの原点のひとつが永井豪のマジンガーZだが、実は人型の巨大ロボットもまたこうした圧倒的な破壊をもたらすものとしての原イメージにつながると考えている。
古今東西の神話、伝説をはじめ人間の作り上げて多くの表現の中に現れるこのイメージは一体何なのだろうか。永井豪の『デビルマン』はとても大きな問いを投げかけているように感じるのである。