山寺で極楽を想う

 本日は兼務しているT寺へ留守番に。
 お寺に行く途中、畑が黄色い花で埋まっているのを見つけた。
 畑に脇に小さな青い重機が一台置いてあり、それがいい味を出してました。


 春の田舎の風景である。

 T寺に着くと、霊場会から届いた冊子が置いてあった。パラパラ読んでいると

    「人間は生きる時間は長くなったが、考える時間は短くなった」

 という一節があった…

 なんとなく心に響いた。


 このお寺は山に中腹にあり、小さな寺務所に中にいるとかすかな鳥の声と手水に流れる水の音が聞こえるのみである。

 しばらくそれらの物音に聞き入っていた。

 「考える時間が短くなった」というのは、例えば自然に触れて何かを感じるといったことも含むのだろう。日本人は何かにせかされるようにして長く生きている…そのことに意味が無いとは思わないが、そうした生活に欠けているものを探すにはどうしたらいいのだろうかと考えることがある。果たして仏教はその答えになるのだろうかとも。

 ふと極楽とはどんなところだろうと想像した。

 花は咲いているのだろうか?鳥が鳴いているのだろうか?綺麗な宮殿(ぐうでん)、清げな玉砂利。妙なる音楽、芳しい香の匂い…小さな寺務所に中でそんな妄想が頭から離れなかった。