ジオンのお守りが来た日
【山寺のガンダムワールド】
出先から帰ってネットに繋ぐと、笑顔のイチローの写真が眼に飛び込んできた。
WBCでの日本優勝のニュースである。善きかなイチロー、善きかな日本の侍達。
ガンダムシリーズというのは数あるアニメの中でも最も好きなもののひとつだ。
ただ私の好きなのはファーストガンダムで、それ以降についてはあんまりついて行けないところがある。こないだも「SEED」を一巻から見始めたが2巻めくらいで独特の人間関係についていけなくなり挫折。ガンダム的ゼネレーションギャップというところか…
正確に言うとファーストガンダムとMEIMU氏の「MS IGLOO」のアニメシリーズが一番好きである。この2つにはとても骨太な魅力を感じる。
巨大な人型のモビルスーツを滑稽だという笑う人がいる。
確かにもビルスーツよりより科学的な合理性のある兵器はいくらでも存在するが、モビルスーツの無いガンダムの世界というのは全く魅力を感じない。
巨大ロボットが好きというのは単に私が子供っぽいのだと思っていたのだが、最近、永井豪と諸星大二郎の作品を読んでいて、感じたことがある。
それは人間の心の奥に根本的なモチーフとして<巨人>というイメージがあるのではないだろうかということである。その延長に巨大ロボットへの魅力が生まれるのではないかと思うのだ。
子供の頃、永井豪氏の「マジンガーZ」や「ゲッターロボ」といった作品を多いに楽しんだ。だが或る程度の年齢になると永井豪のロボット漫画には興味がなくなった。永井豪氏の作品に出てくる暴力や性の描写についても子供の頃は単なる刺激として感じ受け止めていたが、やはりある年齢になると「卒業」したと思っていた。だが、先日あるきっかけで「マジンサーガ」を読み返してかなり強い衝撃を受けた。
永井豪氏の作品には巨大ロボットも暴力も性も全てが表面的にみえるようなやはり何かが存在しているのである。
科学的なものを超え、人間の心を深いところで揺さぶる危険ななにかあるような気がするのである。私には人間の心の中にある<巨人>のイメージとしか言えないのだが。
ガンダムシリーズのモビルスーツは正にその<巨人>の継嗣なのだと思う。
閑話休題。お寺というのは名前が3つあることが多い。
「○○山××寺△△院」のように<山><寺><院>の三つの名前を持つことが多い。
それぞれを「山号」「寺号」「院号」と呼ぶ。
お寺はこの3つのうち<××院>か<○○寺>が通称となる。
兼務しているT寺はかっては<院>の名前で呼ばれていたのに、或る時点から<寺>のほうが通称になっていたりして面白い。
私の住んでいる山寺はこの寺号がジオンなのである。漢字だと「慈恩」だが…
ウチは院号が通称なので、これまでお守りは院号のほうで幾つか作っていたのだが、先日、寺号でもお守りを作ってみた。
だが出来上がってみると、イメージとかなり違う…渋い感じのザク色になる予定だったのがどちらかというとザクが生産ラインから出てきたばかりみたいな色になっている。寺名の銀箔も弱くてあんまり有難みがない。初号機というところか。山寺のガンダムワールドはまだまだ続きそうである…