新緑に仏舞う 

昨日は西国観音霊場松尾寺で仏舞という行事が行われた

仏前で歌舞を奉納するという行事は多いが、ここではなんと


 仏様自らが舞われるのである。

【仏舞の写真】http://www.namakouji.com/gallery/hotoke/hotoke.htm


 古代風の装束を着け、金色の仏の面を被った6人が厳かに舞うのである。
仏舞は本堂に一角に設(しつら)えた小さな舞台の上で行われるが、大きな所作は無く、静かに印を組んだり、移動しながら位置を変えるなどの所作を行う。

 その起源は奈良時代に中国から伝わったもので仏の歓喜を表しているのだという。
 全国的にみても大変に珍しく、希少な行事として国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 

 当日は近隣の寺院から10名余りの僧侶が出仕する。
 昨年まで住職が参加していたのだが、今年から私が出仕することになった。

 仏舞に先立って本堂でお勤めを行う。

 暗い本堂に座って境内を見ると、開け放した窓や扉から溢れるような新緑が眼の前に広がっている。本堂の中は暗いので、暗色のフレームで新緑が四角に切り取られているように感じる。そのことが一層、新緑を美しく感じさせる。

 濃淡のある境内の新緑、野村もみじの紅葉、5分ほど散り残した八重桜。
 それを背景に仏様が舞われる、標高7百米の山腹にある境内の空気は澄んでいる
 朝から小雨が降っていたが、仏舞が始まる頃から薄日が差しはじめたので、少し神々しい感じまでした。

 余談だが阿弥陀如来、釈迦如来大日如来を象った面は殆ど視界が利かないそうである。

 僅かに開いた小さな穴から外が見えるだけなのだという。
 困ったことに、この珍しい行事を写真に収めようとカメラのフラッシュを焚くカメラマンが大勢いる。ところが小さな穴から懸命に覗いている時に正面でフラッシュを焚かれると眼に大変強い刺激を受けて倒れそうになることもあるという。悪気は無いとはいえ

 仏様に目潰しとはあんまりである…


 仏舞を見ていて私は芭蕉の句を思い出した。

 

  若葉して御目の雫 ぬぐわばや


  この句は芭蕉が貞享5年(1688)奈良の唐招提寺で鑑真和上像を拝して詠んだ句であるといわれる。
新緑の季節に鑑真和上の像を拝した芭蕉はどんな感慨を得たのだろうか。

唐招提寺http://www.toshodaiji.jp/ganjin.html

 鑑真和上は渡航の途上失明されたと伝えられる。

 この句からは芭蕉が和尚の像に手を伸ばせるほど間近に対面していたことが想像される。芭蕉は鑑真和上の木像を見て、古(いにしえ)の和上のお姿、苦難な渡航を思い、その涙をぬぐって差し上げたいと感じるのである。言うまでも無く唐招提寺の鑑真和上像は日本最古の肖像彫刻であり、天平彫刻中の一大傑作でに数えられるものである。おそらく芭蕉には古代の優れた仏像に接した感慨も湧いたに違いない。


 私達は「恩目(おんめ)の雫(しずく)」というと涙を連想する。だが<涙>ではなく<雫>なのである。<雫>という言葉だからこそ若葉に滴る清々しい露の宿る姿をも連想できるのである。
 冒頭の「若葉」と末尾の「わばや」は全て<あ>の母音であり、<わかば><わばや>と言葉が響きあっている感じがする。古色の仏像と瑞々しい若葉の取り合わせもまた素晴らしい。
 この一句からは溢れるように感慨が湧いてくる。

 



    若葉して御目の雫 ぬぐわばや




  【謝辞】

挿入した仏舞の記事に関するURLはこだわりの生麹で有名な舞鶴の大阪屋さんのHPより引用させて頂きました。

また芭蕉の句については下記ブログに関連記事があります。いまどき珍しい硬派のブログです。参照されることをオススメいたします。
極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/01/post_36.html