アマデウスの哀しみ

 月並みだが妻のお腹にいる赤ん坊の胎教にと思ってモーツアルトのCDを買ってみた。


ベスト・モーツァルト100 6CD

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  初めて子供ができて何をどうしていいのか分からないのでよく聞くことを取り合えずやってみるという夫の典型になりつつある(笑)…


その中に


セレナード変ロ長調「グランパルティータ」K361第三楽章(管弦楽のためのセレナーデ変ロ長調より第三楽章)



という曲が入っていて,それが映画「アマデウス」の挿入曲だったことを思い出した。


 主人公が息を切らせて廊下を駆け抜け、語り手である年老いたサリエリが回想する姿に重なってこの音楽が流れる。
 とても好きな場面である。

 「アマデウス」は最も好きな映画のひとつである。

アマデウス [DVD]

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 最初に観たのは大学の視聴覚室だった。
 
 映画が後1、2分で終わるという時に視聴覚室を出なければならなくなったことを今でも覚えている。私は感動すると周囲の状況や人物を覚えていることが多いが、視聴覚室の受付の男性が白い大きなマグカップで何か飲んでいたのも覚えている。

 この映画に描かれるモーツアルトは超絶的な天才であると同時に猥雑で粗野な男である。

 だがモーツアルトに生きた時代というのは、一般に考えられているより遥かに猥雑で粗野な部分があった。

 そういった文脈を抜きに「アマデウス」を見ると、ただ彼だけがそうした人物に見えてしまう。
 ここらへんは作者の計算なのか、それとも誤算なのか、或いは観る側の誤解なのか評価が難しいところだろう。


 だが俳優の演技も音楽も脚本もセットもどれもがただただ素晴らしい。
 細かな批判はいろいろあるようだがそんなものを圧倒する作品の力がある。

 

 モーツアルトの音楽は純粋で哀しい。そこに同時代のサリエリという音楽家の悲しさと醜さが重なる。

 音楽がいくつもの異なった器楽や音階の調和で成り立つように二人の音楽家の哀しさが響きあい、心に沁みる物語を作っていく。

 CDを聞きながら、今度生まれる子供には他人に哀しみが分かる人間になってもらいたい…と思わずにはいらなかった。