心霊スポットの若者達

 昨日、コンビニで立ち読みしていたら、横に居た地元の高校生達が、市内にある心霊スポットについて熱く語っているのが聞こえた。どうやら友人達語らってと「その場所」へ出かける様子である。

 地元にある廃墟、廃校、病院跡、墓地…そういった場所にまつわる怪談や都市神話は自分も子供の頃に随分見聞した。

 若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、そうした場所へ出かける若者が随分多いと聞く。テレビの影響も大きいのだろう。夏になるとその種の番組が実に多い。大抵は芸能人がそうした場所を訪問して奇怪な体験をするというものである。

 結論から言えばそういった場所へ興味本位で出かけるというのは勧められることではない。
 仮にそこに「何か」が存在したとして、それが訪問者にどのように感じるか考えてみればあきらかである。

 以前、お参りされた方に伺った話では若い頃、そういった場所へ頻繁に出かけていて、あるときからとても体調が悪くなって、懲りたということだった。

 相手を人間に置き換えれば分かりやすい。
 自分に何の理解も無い相手がただ興味本位に訪れて、騒いだり、写真を撮って帰ったとしたらとても不愉快に思うのではないだろうか。
 不愉快に思うか、悲しく思うか、それとも無関心か…ただその一部が腹立たしく思うことがあってもおかしくない。それがどんな結果をもたらすかも。

 もちろんそういった場所に特別なものが何も無い場合も多い。ところが何もないはずの場所に出かけただけなのに勝手に自分が何かに取り憑かれたと思い込んだり、自分の不幸を勝手にその場所に出かけたからと牽強付会する者もいる。それも困ったことである…



 何だかお説教じみた話になった。

 但し、この話題にはもうひとつの観点がある。
 若さというのは向こう見ずで、生意気で、無節操なものを含んでいるということである。
 そうした属性のない若者には魅力が無いのも事実である。
 大人が一笑に付すようなことに一生懸命になるのもまた若さの特権である。

 私も若いころ、今考えれば冷や汗のでることを随分やった。人を傷つけ、また自分も挫折をたっぷり味わった。その若さを経て今の自分がある。
 分別のある若さなど詰まらないぞと嘯(うそぶ)いている自分のもうひとつの声が聞こえる。

 これから暑くなるが、いよいよテレビにはそういった番組があふれる季節である。テレビを作っているのは分別のある大人であり、テレビが公器であると自覚しているはずである。にもかかわらず毎年のように作られるこの手の番組は面白可笑しく、興味本位の番組ばかりである。それを考えると少し憂鬱な気がする。