ぼたもち異聞


 田舎のお墓というのは山の中にあることが多く、掃除やお供えなどが大変である。
 そこで先祖代々のお墓を家のそばの平地に移すことが近年の傾向である。

 古いお墓の利用に区切りをつけることを発遣と呼び、新しい墓所での祭祀を始めることを開眼と呼ぶ。この発遣と開眼が年に数件ある。

 本日は古い墓所の発遣に加えて新しい墓所の用地で地鎮祭を頼まれた。
 地鎮祭はめったに無いことなので、本山で伝授を受けた次第書を復習した。

 次第書にはお供えについて「餅と汁」と書かれてある。

「汁」って何の汁だろう…

 お供えでいきなり躓(つまづ)いてしまった。
 先輩のお坊さんに尋ねてようやく「汁」というのが小豆を煮たものと判明した。本山では小豆の砂糖煮を本尊にお供えすることがあったのをようやく思い出した。
 本山では短期間にいろんなことを叩き込まれるのだが、疲労困憊しきっている時に習ったことや、自坊(自分のお寺)でやらないことはどんどん忘れてしまうのが欠点である…

 地鎮祭の前に古いお墓の発遣に向かう。

 赤土で滑りやすい山道を注意深くそろそろ登っていく。足元に気を取られて、お墓にすぐそばまできて、上を見上げると、切り立った山の斜面4段ほどの空間に40余りの古いお墓が並んでいた。花立にはヒマワリ、紫陽花、しきみなどが供えられ、お墓の前に置かれた蓮の葉にお団子などのお供物が添えられている。

 ヒマワリは直径10センチほどだが鮮やかなオレンジ色で花芯は濃い茶色である。明るいオレンジ色のヒマワリが古い墓石と一緒に整然と並んでいるのは美しくも、不思議な光景だった。檀家氏は絵に描いたような好人物のご夫婦で、この二人が一生懸命古いお墓のお守りをしてきたことがひしひしと感じられた。

 
 発遣を終えて地鎮祭に望む。
「お餅と小豆が正式なお供えです」と付け焼刃の知識を披露すると奥さんがわざわざ家に引き返して持って来た自家製のぼたもちをお供えしてくださった

 無事に地鎮祭を終えて、山寺に帰るときふと頭に浮かんだことがある。
 法事にぼたもちをお供えする習慣は「餅」と「汁」(小豆)をお供えするところに本来の意味があったのだろうか…という疑問がわいたのである。これはなかなか興味深いことで少し調べてみたいと思った。

 家に帰って檀家氏に頂いた包みを開くと、自家製のぼたもちが10個入っていた。
 最近はお菓子屋で買ったお菓子を法事に配る家の多いが、この檀家氏の奥様の作るぼたもちは美味しいことで有名なのである。美味しいぼたもちは家族達にあっという間に食べられてしまった…