戦没者供養の試み
本日は兼務しているお寺で施餓鬼の法要がおこなわれた。
昨年から気になっていたことがある。
お寺の年忌の法事は50年忌の次は100年忌である。
ということは先の大戦で亡くなった方の法事はこれから30年以上にわたって行われないことになるということである。
施餓鬼の法要では施主の求めにより、塔婆供養を行うことになっている。
大抵は故人の戒名や「○○家先祖代々」と書かれた塔婆を供養する。
今年はお寺が施主となって「英霊戦没者供養菩提」という塔婆を合わせて供養することにした。法要に先立っての挨拶のなかでその趣旨を説明したのだが、反響は全然無い(笑)…
明日は兼務しているもう2つのお寺でも施餓鬼法要が行われる。
これら2つのお寺でも同じように戦没者の供養をするつもりである。私は結構しつこい性格なのである(笑)
鳩山由紀夫氏は政権獲得後には「新たな国立追悼施設建設」に取り組むことを明言しているが果たしてどのようなものになるのだろうか…
民主党はマニフェストの基になった政策集の中で「特定の宗教性をもたない新たな国立追悼施設の設置」を謳っている。
供養ということを考えた場合に供養の対象が喜ぶことを為し、喜ばざることを為さないというのがひとつの原則ではないかと思っている。
「特定の宗教性をもたない追悼施設」といったものによって供養されることを果たして大戦で亡くなった方々は喜ばれるだろうかと考える。
そう考えると仏式乃至は神式の儀軌にのっとった供養(慰霊)でなければ故人の尊厳を傷つけることすらあるだろう。
今回の政権交代には必要と必然がある。
ただ民主党の一部には日本人の精神性を蔑(ないがし)ろにすることに情熱を傾けている人達が少なからず居て、そういった人達によって国策が左右されることは心配である。
日本のお寺の多くではお盆に施餓鬼という法要が行われるが、叶うことならできるだけ多くの寺院で戦没者への供養が行われ、その意義が説かれることを願っている。
本日は64回目の終戦記念日である。合掌
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