祖霊を感じる風景
本日の夕方6時半に棚経が終了した。
お盆の忙しさも半ば過ぎたように感じて安堵している。
明日からは5つのお寺で施餓鬼に参加してお盆期間は終了である。
棚経に廻るために村に行くと、玄関や道路脇に見慣れない車が止まっていると大抵は帰省した家族や親類の車である。
家族や親族が連れだってお墓参りに行く光景もよく見かける。
水桶、柄杓、花、お供え物の入った重箱の風呂敷包み…それらをもって家族が楽しそうにぶらぶらと歩く姿が田舎のあちこちで眼につく。何とはなしに心が和らぐ光景である。
私達アジア人は欧米人やイスラム圏に比べて多分祖先や祖霊への意識が強いのではないだろうか。
戦後の日本では家族や家系といったつながりは<桎梏>といった意味合いで語られることが多いが、実は大きなもの、連綿と続くもの、眼に見えないものにつながっている感覚は安心や帰属感、連帯感をもたらしていたのではないかと感じることがある。
戦後は徹底して家族や全体より個が追及された。
家族がばらばらになり、親子ですら対等や平等で語られるようになった
時々、若い親が自分の子供に口汚く罵っているのを見かける。昔は見なかった光景である。
親と子という関係から個対個という関係に移りつつあることの現われではないかと私は思っている。もちろん悪い意味ではある。
お盆のひとつの意味は自分の祖先を大切にする意識の確認ではないかと思う。大げさに言えばアジア人の意識の確認でもあると思うのである。
もちろん私達僧侶が家々を廻って読経することもそのなかに組み込まれている。
その意味では棚経の読経やはり意味があることだと思うし、その棚経を無事終えられたことを安堵している。
今日は久しぶりにゆっくり「銀河英雄伝説」のDVDでも観ることにしよう…
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