至高の「金の輪」

【山寺の本棚】

   ※ 本稿では小川未明の「金の輪」の具体的内容、結末について言及していますのでご容赦下さい。

 掃除、整頓と並んで<身の回りの物を減らす>ことはとても大切ではないかと思うことがある。

 
ついつい身の回りにためこんだものには自分の執着とか、過剰な思い入れとか、物欲などなどが反映しているからである。
 

 尤も家族に言わせれば私こそガラクタや古本を山のように抱えている厄介者なので、あまりエラそうに言う資格は無いのだが…

 
身の回りのものを減らす一番良い方法はバザーに提供することではないかと思う。

 毎年10月に地元で作業所の方の主催される大規模なバザーがあるので、できるだけ物品を供出するようにしている。身の回りのものも減らせるし、捨てるよりも抵抗が少ないし、何より困っている人の役に立つので一石三鳥である。

小川未明童話集 (新潮文庫)

小川未明童話集 (新潮文庫)

 

バザーに提供する本を探していて小川未明の童話集を見つけて思わずパラ読みした。

 

<掃除していて掃除そっちのけで出てきたものに夢中になってしまう>というありがちなパターンである(笑)

 

私が好きなのは「金の輪」という掌編である。僅か数ページの長さである。


 病床にあった太郎がようやくベッドを離れて往来に出た。
 太郎が往来にたたずんでいると一人の少年が輪回しをしながら走ってきた。
 その少年は二つの金の輪をたいそう上手に回しながら太郎の前を走りすぎていった。少年は太郎の前を通り過ぎるとき、太郎の方を向いて微笑むと走り去っていった。
 その翌日も太郎が道傍に立っていると、あの少年が美しく光る金の輪を回しながらやってきた。少年は前よりいっそう懐かしげに太郎を見て微笑み、通り過ぎていった。
 その晩、太郎は自分が少年から金の輪をひとつもらってどこまでも二人で駆けていく夢をみた。
 翌日から太郎は熱を出し、そのまま息を引きとった。


 小川未明のひとつのテーマは<破滅>であり<死>ではないかと思う。
 


 だがそうした深刻なテーマが美しいイメージの糸で織られていくような作品である。

 金の輪を回していた少年が誰だったのか、太郎がなぜ死ななければならなかったのか、その説明はない。
 

 だが金の輪を回しながら駆けていき、親しげに微笑んで去っていく少年とは何と美しい描写だろうか。

 未明の作品には基督教的なイメージも感じられる。
 

 <少年と輪>というと私たちは無意識のうちに天使の姿を想像するのだろう。だが、それはあくまで無意識のうちの想像であって少年が天使であるといった説明は無い。

 この作品を読むたびに金の輪の澄んだ音が聞こえるような気がする。
 

 未明という人は天与の資質を感じさせる数少ない童話作家だと思っている。
 ちなみに「みめい」ではなく「びめい」というのが本来のよみ方だそうである。


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