赤ん坊の中にあるもの
【山寺の子育て日記】
子供と暮らすようになってわが子が可愛いと思える反面、相変わらず失敗や分からないことだらけである…だが間近で赤ん坊を見ていると興味津々に思えることがいろいろある。
これまで赤ん坊が泣くのは、オムツが濡れているとか、おっぱいが飲みたいといった“シグナル”だとずーっと思っていた。赤ん坊は言葉が話せないので泣いて大人に知らせている…と思っていたのである。どうもそれだけではないらしいというのがようやく分かってきた。
子供の表情を観察していると、大人でいえば泣く、笑う、などの喜怒哀楽の表情がくるくる現れる。泣くかと思えば、急に遠くのものをじっと見つめたり、笑うかと思えば、ふと不安げな表情になったり…
赤ん坊の中に未分化のエネルギーの流れが常に生成され、流動しているているような感じである。
私たちは大人の感情を当てはめて、赤ん坊が<嬉しいから泣いている>とか<怒って泣いている>と言ってしまいがちだが、どうもそうではないらしい。
海の表面があるときは大きく、ある時は小さく波立っていて、その上を小さな船が漂っている。小船は波の生成に左右され、翻弄されて動いている。赤ん坊の感情というのはこの小船のようなものではないだろうか。赤ん坊の感情が小船なら大人の感情はエンジンの付いた船のようなものだろうか。エンジンの力で目的地を目指して進んでいける。波の抵抗を受けながらも自分の定めた方向に進んでいく。もっとも波があまりに強いと真っ直ぐ目的地に達することはできないが。
なんとも興味深い…
気功家の山口令子先生※に<陰陽のリズム>ということを教わったことがある。
自然の中には常に陰陽があり、変化を繰り返しているという奥深い内容である。
身体を十分に動かせない赤ん坊にとって泣くことが<陽>であり、陽が極まれば<陰>=休息に反転しているのではないかという気がする。
赤ん坊が夜泣きするのもエネルギーを発散させて、眠ることへの助走としているのではないかと思えることがある。
泣きつかれてようやく眠ったというのではなくて、泣くからこそ深く眠れるのではないかという気がすることがある。赤ん坊の中にある不思議なエネルギーのうねりやリズムが泣くことと休息することのリズムを刻んでいるのではないか…それがいつか見えてこないかと少し楽しみにしている。
子供と付き合うというのは、この未分化で、得体の知れないエネルギーと付き合うことだと思う。子供が大人とはっきりコミュニケーションが取れるようになると、理性や常識といった社会性のうちのこのエネルギーが振り分けられ、同時にこのエネルギーが本来持っていた力は半ば失われてしまうのではないだろうか。
神様が眼も鼻も口も無い“混沌”を可哀想に思って眼や鼻や口を刻んでやったら、“混沌”は死んでしまった…中国の古典の中にそんなお話があるのを思い出した。
※【山口令子 気の世界】http://www.kinosekai.jp/
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