お経の意味は分かるべきか
【山寺の本棚】
- 作者: 村井幸三
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/03/01
- メディア: 新書
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随分、売れた本らしいのだが仏教やお坊さんをかなり曲解しておられるなという部分が沢山あって本当に困った(笑)
たとえばこの本ではお釈迦様は霊や死後の存在を認めておられないという記述が延々と続いたりする。だが、お釈迦様のお言葉を集成した中村元「ブッダの言葉」(岩波文庫)などを読むと「嘘を言う人は地獄に堕ちる」といった数々の言葉が記されている。
これはお釈迦様が死後の世界や魂の存在を認めておられなければ存在しない言葉である。
「ブッダの言葉」には輪廻や神などについても沢山の記述がある。
キリスト教の聖書を読むとしばしば感動的な内容に出会うが、明らかに後世に改変されたり、創作された部分があると考えられる。お釈迦様は直接の叙述を残してはおられないが仮に残されていたとしても後世には相当に書き換えられたり、創作が加わった可能性が多分にあるように思う。
お経というのはお釈迦様の説かれた教えと、そこから派生した膨大な言辞の集成である。
中国でお釈迦様に仮託してずいぶん沢山のお経が書かれて「偽経」(ぎきょう)と呼ばれることがあるが、せめて「創作経」と呼んでほしいと思っている。「偽経」という呼び方からはかなり偏った仏教批判がなされることがあるからだ。
お釈迦様の教えを正しく伝えるならお経が創作されるのも仕方なかったし、それによって当時の、その地域の人々にとって必要な仏教が確立されたのならそれもいたしかたないことだと思っている。
お釈迦様の生きられた時代や風土や歴史環境から隔たった人間がその教えを受容しようとすればどうしてもお経の創作や改変といったことを免れないと思うのだ。
お経の意味が分からないといわれることがある。中にはムニャムニャ意味不明のお経を唱えて何万もお布施をもらうのはけしからんというような人もいる(笑)
あまり知られていないが多くのお経では現代語訳が試みられている。ではこれを法事やお葬式で読むことができるかというとはなはだ疑問である。
なんか違うのである…
お経が現代語訳されて「意味が分かるようになる」とさらにその解釈や教義をめぐって延々と議論が始まることは明らかである。
お経は分からないままでいいのではないかと思っている。
では分からないお経には意味が無いかというとそうではなくて、やはり意味はあると思っている。
お経にはそれにかかわった無数の僧侶や仏教信徒の想いが詰まっているからである。
それが読経されるときに、それを聞く者(故人を含めてだが)が何かの思いに打たれ、心動かされるならそれでいいのではないか…と思っている。
古い仏像を見て心打たれることがある。それがどのような仏様なのか、何のために作られたのか分からなくても、ただその存在から伝わってくる何かに心打たれることがある。お経を聞くというのはそれを聞くものの眼前にそうした仏像が現れるようなものではないかと思う。それは荘厳さであるかもしれないし、深遠さであるかもしれない、あるいは絶対感のようなものかもしれない。
残念ながら私がそんなお経を読んでいるかというと遥か及ばない。ただいつかそんなお経を読めるようになりたいとは思っている。
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