行く雲のように 流れる水のように


今年も大勢の方から年賀状を頂いた。
殆どの方に返信できていないので、この場を借りてお礼申し上げる次第である。

頂いた年賀状の中に版画家の田主誠さんの年賀状があった。

田主誠さんは地元舞鶴に深い縁のある方で、この山寺のこともいろいろとご心配下さっている奇特な方である。

年賀状のタイトルは「行雲流水」。

空を流れる雲の青、悠々と流れる川の青、古い革の鞄と帽子。
素晴らしい版画だなあ…と暫し見とれてしまった。

「行雲流水」という言葉を辞書で引くと

空を行く雲と流れる水のように物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せること…

といったことが書いてある。

そうなれたら苦労しませんよねえ…(苦笑)

でもやっぱりそうなりたいです…

お寺にいるとついついいろんなことで心が一杯になってしまうことがある。
それもまた執着なのだろうかと思うことがある。

「行雲流水」とは一生懸命眼の前のことにこだわりながら生きて、その結果や他人からの評価にこだわらないということなのだろうか…時々そんなことを考える。

「人生は旅のようなものだ」と松尾芭蕉は言った。
人生という旅を生きて、また自身も旅を重ねた芭蕉という人もきっとこの「行雲流水」という言葉を口にしたに違いない。

私の人生という旅も半ばを過ぎたようである。それでいて心が定まらないことが多い。汗顔の至りである。

何かに心が捉われて苦しくなったら、この素敵な版画を思い出すことにしよう。


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