麻雀から仏教が学ぶこと
【山寺の本棚】
- 作者: みやわき心太郎
- 出版社/メーカー: 竹書房
- 発売日: 1991/08
- メディア: コミック
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最近寝る前にパラ読みしているのが「牌の音ストーリーズ」(竹書房)という漫画である。
麻雀の裏プロとして20年間不敗という伝説を築いた桜井章一という人物を主人公にしたノンフィクション漫画である。
私は麻雀には全く興味が無いが、桜井章一という人にとても興味がある。
桜井氏が説くのは技術の上達と心の上達がリンクしているという考え方である。
人間をよーく追及していくと麻雀がわかるんですけど、逆に麻雀を追及した結果人間がわかるんです。
私は長い間、技術の上達の為なら心の上達は犠牲にするべきではないかと考えていたことがある。心の上達に費やす時間や労力を技術の上達に費やせば大きな成果が得られると考えていたからである。
だが桜井氏は時間を守ることや挨拶をするといった礼儀にとても厳しいのである。
日常生活をいい加減にしていて、麻雀だけ強くなろうたってそうはいきません。
どうしても日常生活のだらしなさやいい加減さが麻雀に出てくるんです。それが敗因になるんです
このことに気付くと、日常生活の全てが麻雀に向かっていることになり。何をやっていても全部麻雀をやっていることになる。
男性の多くは仕事を持ち、いわば職業人として人生の半ばを送る。
人間としての打たれ強さ、器の大きさ、勇気、向上心、そういったものが人生のいろんな場面で大切になってくる。
それらを真剣に考えようとすると、桜井氏の言動は参考になる点が多いのである。
自分もいつか仏教のプロになることができるだろうか?と時々考えることがある。
《桜井章一氏の語録 》
相談には乗っても愚痴には耳を貸すな
必要な冷静さも度を越すと「迷い」や「弱気」に移行するので、「勇気」とのバランスが大切だが、また「勇気」も度を強すぎると無謀になる。プロになるにはこの両輪が不可欠である
背負っているもののデカさが麻雀を変えるんです。「私」で打っているうちはたかが知れてますよ
常識にはワクがあって、常識にとらわれているとその常識のワクの中でしか勝てない
何か志すものは絶えず当面のテーマと闘っている
失敗をどれくらい生かせるかで勝負は決まる。人生だって失敗なしに生きられない。