お坊さんのリアリティ
本日は地元の村で “お日待”という行事があった。他の地域については不明だがこの時期、いくつかの村のこの行事がある。
「日を待つ」という名前のとおり、もともとは朝日を拝む行事だったようである。
前日から村の集会所にふとんを持ち込んで泊り込み、翌朝の太陽を拝んだのだという。
さすが最近はそんな悠長なこともしなくなり、村の集会所でお坊さんが祈念のお経をあげるだけである。
泊りがけの行事というと大変そうに聞こえるが昔は娯楽が少なかったので一緒に泊まって、お酒を飲んだり、語り明かすのが村の人にとっては楽しみだったのではないか思われる。
こちらに帰ってきて足掛け6年になる。
20年近く故郷を離れていたのでこちらに戻った当初は市役所に行くのに地図を描いてもらっていたくらいである。いろんな年中行事を何度も体験してようやく地域のこともお寺のこともだんだん分かってきた。
少し前に時代劇を見ていたら、山伏姿の行者さんが錫杖を振りながら「南無大師遍照金剛!」と唱えてご祈祷していたが、その姿がいかにも不自然でおかしかった。「南無大師遍照金剛」とだけ唱えて祈祷するというのもかなりヘンである。
時代劇でも現代劇でもお坊さんの所作や読経は結構ツッコミどころがある。
特に真言というのは普通の人は唱えないので役者さんの真言はすごく不自然に聞こえる。
逆にスゴイと思ったのは「陰陽師」という映画に主演していた野村萬斎氏である。
陰陽師として呪言を唱えるのだが、その声がいかにも何か出てきそうで、真言を読む時真似しようかと思ったくらいである(笑)
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世代交代ということで法務(お坊さんの仕事)は殆ど私が行うようになった。
だが、たまに痩せて小柄な住職が法衣を着て座っていると、なんともいえない存在感を感じることがある。
何かに圧倒されるというより、いろんなことを体験して培った説得力のようなものである。
昔のお寺というのは貧しかったし、戦争や、戦後のいろんな厳しさを経験している住職を見ていると、いろんな体験がお坊さんとしての姿に溶け込んでいるのを感じることがある。
どんな職業についても言えることだが、長く仕事をしているとその人の人生や人柄と職業が渾然となってくるものである。
いつかはそんなふうになりたいが、まだまだ先の話である。