悲しい風景を越えて

【山寺の子育て日記】

赤ん坊は一旦、泣き始めると私がどんなにあやしても泣き止まない。
妻が抱き上げると、殆ど同時に泣き止む。妻は…否、母親は偉大である。


子供が眼を閉じて無心に妻のおっぱいを吸っているのを見ると、気持ちが暖かくなる。
もしかしたら、この世で最高の幸せというのは赤ん坊が母親のおっぱいを吸っているときではないか…ふとそんなことを考えた。


昨日、街のスーパーの通路で2歳くらいの女の子とすれちがった。
大きな眼でじーっと私の顔を見るので、少しお愛想しようとしたら、後ろから来た若い母親がいきなり頭を叩いて何か怒鳴った。

最近、そんな光景を良く見かける。
<母親として子供を叱る>のなら何も問題はないのだが、叱っているというより子供にただ感情をぶつけているという光景である。親が子供に対等の感覚でキレているという気がするのである。昔は見ることの無かった光景である。
日本的な個人主義の行き着いた先ではないか…と言えば大げさ過ぎるかもしれない。
この場面に出くわすたびに何とも言えず悲しい気持ちになる。

平成6年に天皇皇后両陛下が訪米した際にクリントン大統領が橘曙覧(たちばなあけみ)の独楽吟という和歌の一首を引用して話題になった。

橘曙覧(たちばなあけみ)は幕末の福井に生きた歌人国学者として知られる。
独楽吟にはとても平明で、知的で、静かな<日常の美と楽>が読まれている。
その背後には妻や子供の存在がしっかりと感じられる。

個人を通り越して孤人になりつつある日本人にもう一度この感覚を取り戻してもらいたいと思っている。



たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
楽しみはまれに魚煮て児ら皆がうましうましといひて食う時
楽しみはめづらしき書(ふみ)人に借りはじめひとひらひろげたる時
たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物(もの)をくふ時


福井市橘曙覧記念文学館】 http://www.fukui-rekimachi.jp/tachibana/index.html 


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