来目皇子の陵墓

本日は地元の仏教会の新年総会。
正装して威儀を正したお坊さんがズラッと並んでいるのは壮観である。

ところが来期の役員を選ぶことになって、どういう訳か私が会計に指名されてしまった…山寺に帰って家族にそのことを告げると一同爆笑。

私はとにかく大雑把で経理や会計には一番向かないと自他共に認めるからである。
ワードで文章書くくらいならともかく、エクセルで会計を処理すると考えただけで頭がキリキリ痛くなってくる。指名された以上断るわけにもいかないので、何とか2年の任期を無事に過ごせるよう神仏に祈るしかない。

私が総会に行っている間に住職は兼務している多禰寺というお寺に見回りに行った。この多禰寺というお寺は山中にあり、雪が50センチも積もっているとか。50センチ…さ、寒すぎる。

今日は少し興奮したニュースがある。

大阪羽曳野市聖徳太子の弟である来目皇子の陵墓と考えられている塚穴古墳がある。この塚穴古墳の 北側で高さ3メートル、幅38メートル、長さ130メートルの巨大な外郭が見つかったとのこと。
これによりこの塚穴古墳が来目皇子の陵墓である可能性が一段と高くなったという。

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

10代の頃にとても刺激を受けた漫画に「日出処の天子」がある。山岸涼子一代の傑作であり、日本の漫画史に残る名作である。
主人公厩戸王子の弟にとても愛らしい来目皇子が出てくるのだが、以前、住職が「多禰寺を創建したのは聖徳太子の弟である」と言うのを思い出した。もしかしてウチの寺は来目皇子が立てたのか?あの可愛い来目皇子が?…

だが調べてみると多禰寺を建てたのは聖徳太子の異母弟の麻呂子皇子であることが分かった。残念ながら来目皇子でなかったと分かってものすごくガッカリした。
(「日出処の天子」の続編である「馬屋古女王」(うまやごのひめみこ)に麻呂子皇子らしい人物が少しだけ登場する。)

聖徳太子や麻呂子王子の父君である用明天皇継体天皇に近く、その継体天皇の出自は若狭近辺である。この土地に麻呂子皇子が来られたのもそのことと無関係ではないだろう。
丹波、丹後、若狭は皇室との関係が深い土地であり、聖徳太子や麻呂子皇子の伝承も散見される。


昨日は歌会始の儀が行われた。日本の皇室が高雅な文化の規範を守り続けていることは賞賛に値する。

外国の皇室の報道を見ると皇族の不倫などの話題があまりに多すぎる。よく言えば民主化、悪く言えば世俗化している気がする。


あまり知られていないが世界の王族、皇族を序列化するとそのトップは日本の皇室なのである。そのことが日本という国の持つ歴史の重さ、正統性をどれほど高めているか計り知れない。そして外国に対して圧倒的な文化的プレザンスとなっていることはもう少し評価して良いと思う。

日本人の根底には自然崇拝があり、それが<神道>と<皇室>への素朴で、深い崇敬に繋がっている。
皇室を勝手に軍国主義を結びつけて貶めている人達がいるが、日本人が持つ、素朴なままの皇室への崇敬は失ってはならないと思っている。今や日本人の感性から自然への畏敬が失われようとしている。そして皇室への崇敬まで失われれば日本人が日本人でなくなることを意味するからである。


歌会始の儀における天皇陛下の歌】
木漏れ日の光を受けて落ち葉敷く小道の真中(まなか)草青みたり

歌会始の儀における皇后陛下の歌】
君とゆく道の果たての遠白(とおしろ)く夕暮れてなほ光あるらし


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