久しぶりに頭を使った一日
【のんびりしてられない日記】【山寺の本棚】
本日は本山での教学講習会でした。
教学講習会というのは分かりやすくいえば講演会兼勉強会といったところ。
毎回、外部から有識者を招いて行われるが、今回の講師は曹洞宗の中野東禅師である。師のご専門は死生学や生命倫理である。
テーマは
『脳死・臓器移植問題の仏教的視点を考える』
東善師によれば、これまでの仏教は情緒的であり、哲学的、科学的な考察が欠けているのではないかとのこと。
だが私見では日本の社会は基本的な情愛が欠落した社会になりつつある。
人間としての基本的な情緒、情愛があってその上に理性や哲学があり、さらにその上に仏教的な智慧があるのではないかと思うのである。
今日は親が子供を、子供が親を愛せない社会になりつつある。これは非常にマズい方向に向かっている気がするのである。
もう一点気になったことがある。
これまでは臓器移植には提供者の同意が必要とされていた(オブトイン式)が、今後は生前に拒否の意思表示をしていないかぎり同意とみなす(オブアウト式)ようになるという。
このことについて<人間は本来善意ある存在である>からといった説明がされているそうなのだが、本当にそうだろうか?と疑問がわいた。
オブアウト式になれば明らかに臓器移植の<供給>は増える。それが背後の要請であってそれを<人間の善意>などといったことでごまかされる可能性があるのではないか。
根本的な情愛が欠落した社会になりつつあることに眼を閉じたまま、仏教は脱情緒の視点から臓器移植に向き合うべきだと説き、尚且つオブアウト式の臓器提供を<人間の善意>に帰着させるというのは矛盾ではないか…
そんなことを最後の質疑応答で東禅師に問いかけてみたのだが、なんかうまくはぐらかされた気がしました…(笑)
社会が複雑になるとその中での仏教の役割もどんどん変わっていく
少なくとも新しい問題から眼をそらしてはならないだろう。その意味ではとても勉強になった一日だった。というか久しぶりに頭を使ったので帰ったらぐったりしてしまった…
「布施」というのは本来は無条件に人のために役立てることである。
「布施」の原語は「ダーナ(檀那)」である。それがラテン語になって「ドナー(贈り物をする)」になったのだという。いうまでもなく「ドナー」とは「臓器移植提供者」という意味もある。
臓器移植と仏教の縁(えにし)は決して浅くはないのである。
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