地誌を学ぶ醍醐味


昨日取り上げた引揚げ記念館のそばに「平(たいら)」という地名がある。

ごく普通の海辺の農村地帯である。
私は平坦な土地を指して平らという意味なのだと思っていたのだが、何年か前に地元の碩学の方から平氏と関わりのある土地だったと伺った。

祭礼では白い幟(のぼり)を掲げることが多いが、白旗は源氏の旗印なのでこの地域ではかけなかったというような伝承も伺った。
この方に本格手的に地誌の手ほどきをしていただくようお願いした直後にこの方が急逝され大変残念な思いをした。

それと前後して住職から平家の落ち武者の墓とされる五輪塔が平にあったことも聞いた。この五輪塔は現在兼務している山寺の境内に移されているが、普段、気にも留めていなかったので少し驚いた。

平家=落ち武者という連想から落ち武者の墓とされているが、実際には平氏にかかわりの合った人物の墓ではないかと思う。


私に住んでいる山寺の境内に奉行杉という杉の巨木がある。

名前の由来は造営奉行として当山の復興に尽力した平忠盛が植えたものだという。
忠盛は清盛の父であり、この時期から平家は西国全体に軍事的な基盤を持っていたようで、おそらくこの土地もそうした影響下にあったのだろう。

舞鶴一帯には平家の勢力が大きく関わっていたらしいのだが、その辺がもう少し詳しく分かると興味深いと思う。歴史については全くの門外漢で何をどう調べていいやら全く分からないのが少し残念である。

いつの間にか平家が悪者で、源氏が正義の味方というような先入観ができてしまっているが全く虚像の部分が多いようである。


平家という名前も「平らげる」というところから来たとか、「平安京」の「平」という字をとったなどという説もあるそうである。これなども興味深い。平という農村が平氏と関わりを持ち、その由来が平安京にまで遡るかもしれないとは…

歴史という見方が加わると、よく知った地名や眼の前の風景が全く一変してしまう。
この感覚こそが歴史を学ぶ醍醐味と言えるのではないだろうか。


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