台湾からのお客様
夕方、用事があって市内の禅寺に行った。
庫裏の大玄関に入ると、正面に洋花が活けてあって、大きな紙に中原中也の言葉がしたためてあった。
汚れちまった悲しみに 中也
かっこいいなあ…と思わず見惚れてしまった。
昨日は台湾の淡江大学の一団が山寺に参拝された。
別にこの山寺に来るのが目的ではなく、日本三景のひとつである天橋立の帰り道に立ち寄ったとのことである。
通訳兼ガイドの方が同行されているので境内を案内した。
20年以上も前に大学の第二外国語で中国語を習ったので少し思い出して喋ったら爆笑された…何が可笑しかったのかは不明である。
ところが何気なく「私がこのお寺の僧侶です」と言うと途端に物凄い尊敬の眼差しを受けた。
台湾にも仏教寺院があるそうだが、僧侶というのはどうやらとても尊敬されているようなのである。少々困惑した。ちょっと嬉かったが(笑)
一通り境内を案内してこれから帰るという段になって、一人の方が私の前に来て、頭を差し出された。
『私に頭をどうしろと?』と内心思ったが、形はどうあれご祈念すればいいのだと思って、相手の方の頭に手をかざして真言を唱えた。すると我も我もと希望者が殺到してきた。
この場合一体どうすれば良かったのか、そもそも台湾の僧侶の方がどのようなことをされているか不明である。
すごく和やかにいろんな話ができて少し調子に乗ってしまったのだが、少し寂しそうな女性がおられて身振りとカタコトの英語を交えて話しをするととても重い病気にかかっておられるとのことだった。それを聞くと急に気分が冷めてしまった。
言葉が通じればいろんなことが言ってあげられるのに何にも言えなかったのがもどかしかった。こういう場合どういう言葉をかけてあげるべきか、何をすべきか…
少し前にあるお坊さんとお話していたら「人を救ってあげようなどというのは傲慢です」と言われたことがある。
その方はご自分の信念に基づいていろんな社会活動をされている立派な方なのだが、その方なりの信条というものが伝わってきた。
確かに自分一人の心をもてあましている人間が人に救いをもたらそうなどというのは笑止千万かもしれない。
少し前にある針灸家の本を読んだらその方の師匠さんの言葉として「相手の痛みを取ろうと思うな、痛みが一ミリでも減ったらそれで良い」という言葉が書いてあった。
田舎の駆け出し坊主が人を救おうというのは滑稽かもしれないが1ミリでも気持ちが楽になってもらったらそれでいいのではないかと思うことにしようか…いやそもそもそんな考えすら傲慢なのか…答えは出そうにない。
駐車場から出て行くバスを見送ると一同が楽しそうに手を振って名残を惜しんでくれた。
暖かくなって少しずつ参拝の方も増えてきた。
今年もいろんな出会いがありそうな予感がする。
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