天保14年の一大イベント 「般若心経」のキーワード 春を待つ和菓子

昼過ぎにコーギー犬がけたたましく鳴き始めた。

耳を澄ますと「ヒュン」という鹿の甲高い鳴き声が聞こえた。
暫くして外に出ると、ガサガサと物音がするので良く見ると、2頭のイノシシがゆっくり裏山へ登っていくのが見えた。庫裏の前にはイノシシが掘り返したらしい真新しい痕跡が沢山あった。
時計を見ると午後三時。昼間から出没するとは余程山に食べ物が無いのか、山寺がナメられているのか…


今年は熊が冬眠しないと聞いた。
しっかり餌を食べて冬眠に耐えるだけの脂肪を蓄えることができなかったからだという。あちこちで熊の出没情報を聞く。時々は山に入るが熊にだけは逢いたくないものだ。


鹿の食害もすさまじいらしい。
新芽という新芽を食べつくしてしまうので、残るのは一定以上成長した老木だけになる。
或る地域では地表に唯一残ったのは有毒のトリカブトだったという。しかも最後にはそのトリカブトまで食べ始めたという。野生に生きるというのはなんと大変なことかと思う。


観音寺は兼務寺院である。
平安時代に開かれた真言宗御室派の寺院である。
つい先日は屋根に積もった雪が一塊になって落ちたために、軒瓦が大量に落ちたり、回廊の欄干が折れてしまった。
昨日の歴史研究会で、幕末の天保14年(1843)に行われた観音寺の御開帳の記録を見せてもらった。

開帳法要に要した準備品、購入品、借入した什器、手伝い方の配役と名前、法要に出仕した寺院の名簿などなどである。
事務記録なので淡々と綴られているが、読んでいて飽きない。。
屋号を見ると檀家として現存している家が少なからずある。
驚くのは近郷近在の村々から開帳に参拝した痕跡があることである。恐らく、往時はこうした御開帳となれば地元の村々から手伝いや参拝に人々が集まったのだろう。

近々、コピーを頂いてじっくり読んでみたいと思っている。

昨晩は知人から借りた桑田二郎「マンガで悟れる般若心経」を読む。
最終巻だが、いろいろと面白い発見があった。

マンガで悟れる般若心経 3

マンガで悟れる般若心経 3

「マンガで悟れる」というのは少々誇大な表現だが、作者は真摯に仏教に向き合い、瞑想を重ね、真言を唱えるなかで得られた実感をマンガとして表現している点で稀有のものだ。
仏教に関する知識をいくらコレクションしてもそこに作者の実体験が無いと、空疎な印象を受ける。


「般若心経」の経文を観自在菩薩に語りがける如くに、観自在菩薩に語りがけられる如くに読経する

という趣旨の一節があって、これはとても素晴らしいと感じた。

京の和菓子 (1975年)

京の和菓子 (1975年)

読書の楽しみのひとつは書評を読んでその本の内容をあれこれ想像することである。
京都新聞に稀代の読書家松岡正剛氏の「本の大路小路」が連載されていて楽しみにしている。

本日は岩満重孝「京の和菓子」。
画家が水彩と俳句添えて数々の和菓子を綴った古典的名著とか。
春には和菓子が良く似合う。


「孤(ひと)りして味はふ茶菓や遅々の春」京三条駿河
「春愁や好みの菓子の手に重く」亀屋良長
「燭消せばはんなり明し夜の梅」虎屋黒川
「長閑(のどか)さや机の上の州浜菓子」植村義次
「五色豆かたみに春を惜しめとて」豆政
「小鏡と豆板のある夜半の春」秋紅堂


松尾寺の門前にあるお茶屋さんがそろそろ恋しくなった。

【流々亭】http://rurutei.net/


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