「驚きました!」 本山で仏像盗難  座禅とバームクウヘン

知人から「驚きました!」というタイトルのメールが届いて、何事かと思ったら私がスリムクラブの内間氏にそっくりとのこと。
あんまり似てないと思うのだが…



本山である仁和寺の裏山に八十八カ所巡りができるようになっているが、先日はこの付近で白骨死体が発見された…と驚いていたら、今度は八十八カ所巡りの為に設置されたお堂が11カ所壊され、3体の仏像が盗まれたとのこと。御難続きの本山である…



ブログを読んだ友人から座禅とはどのようなものですか?と質問を受けた。
私は座禅の専門家ではないが、感じたことを記して参考として頂ければ幸いである。




心というのはバームクーヘンにように何層にもなっている。
一番上の層を日常の意識とすると私達はこの一番上の意識を自分の全てだと思いがちだが、実は多層の意識のごく表面を自分だと思っているに過ぎない。



日常意識の下には数々の潜在的な意識がある。

研究者が寝入りばなや起きてすぐに、アイディアがひらめくというのは、一番表層の日常的意識が弱いことで、その背後にある潜在意識下の情報にアクセスできたということだと思っている。



滝行、断食、断眠、苦痛…そういった修行は日常的意識を滅することが大きな目的である。

座禅というのは、静的ではあるが、日常的な意識から離れることが大きな目的であると思う。



一番表層の意識というのは常に外界に向かっている。

視覚、聴覚、味覚、触覚などに常に影響されている。
普段、自分が<内面>だと感じている意識もこうした感覚的世界の延長であることが多い。
或いは好き、嫌い、快不快といった感情に大きく支配された世界である

言い換えるなら心の一番表層は肉体的な自我意識と言えるかもしれない。



液体に例えるなら常に波だっているのが表層の意識である。
心の奥にある意識というのはもっと微妙な波形の世界であり、表面意識の荒々しい波によってかき消されていることが多い。

座禅というのは表面の荒々しい波を鎮めることで、心の奥にある様々な微細な波を感じるといえるかもしれない。




研究者が潜在意識からヒントを貰うと書いたが、これはいい影響を受ける例である。

日常意識が蓋となって、潜在化の意識をシャットアウトしているが、これが弱まった時に、心の底にある暗いものが顔を覗かせることがある。

誰の心にも様々な暗部があり、日常意識が弱まることでそれらが顕在化することもあるからである。
座禅で言われる魔境もその一種であると思う。

求道者が大悟する一歩手前で悪魔の誘惑を受けるという話は古今に例があるが、そのひとつの意味は内在していた暗部を知覚するということなのではないかと思っている。



心とは複雑であり、玄妙である。
座禅はその心を巡る旅といえるかもしれない。


現代の私達はあまりにも心をいろんなもので一杯にしている。
パソコンで言えばデスクトップに無数のウインドウを開きっぱなしにしているようなものである。

現代人が座禅をするとは開きっぱなしのウィンドウを一つづつ閉じていくことだと思う。
たまにはそんな経験をするのも悪くない。


日本人の心はあまりにも波立ちすぎているからだ。大人も子供も。

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[決定版]生きがいの創造

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