山寺のシーズン到来! 攻城系歴女御用達 お釈迦様は存在しなかった

若葉して御目のしずくぬぐわばや  芭蕉



朝起きると、心地よい気配に起きるのが惜しくなることがある。

そういう時は布団の中で何度も伸びをしたり、ぐうたらな猫のようにごろごろと転がる。
この時期は本当に気持ちがよい。



新緑とひと括りにされてしまうが、6月までの新緑は格別の魅力がある

私の寝室に早朝の新緑の心地よい空気が満ちているのである。
そして処々から届く鳥の囀り。



この新緑の魅力をどう表現すればいいのかいつも迷うが、強いて言うなら「瑞々しい」ということになるだろうか。

もっといい表現があるといいのだが、今はこの言葉しか思いつかない。



新緑を取り巻く“気”が若々しく、澄んでいて、幼げで、それでいて生命感に満ちている。


カーペンターズの名曲のような、チューブから絞り出したばかりの異国の絵具のような、透明感のあるような、山水の滴りのような…


どうしてもぴったりの表現には至らない。

HP担当者である妻が新緑の境内の写真少々を更新してくれたので御暇な方は御笑覧頂ければ幸いである。
この幾枚かの写真から新緑の心地良さを想像して頂ければと思う。

【金剛院HP】http://ujimaccya69.web.infoseek.co.jp/

御近所さんは是非散策にいらして頂きたい!



困ったことになった。

infoseekから通知が来て、現在使用しているHPのサービスが約1年後に終了するとのこと。

昨年の秋にそれまで無料だったサーバーの提供が無くなって、仕方なく年間6000円の有料サービスに切り替えたのだが、今度はHP提供のサービスそのものが無くなるという。

どう考えてもサービスの終了が大前提の上で、昨年の無料サーバーの終了が“先行して”行われた気がするのだが…

今回は約1年準備期間があるが、HPをどのように移行するか考えないといけない。
担当者にはまだこのことを告げていないのだが少々気が重い。



歴女の皆さまに朗報!

なわばりちゃんお攻めなさい!

なわばりちゃんお攻めなさい!

歴女という言葉も定着した感があるが、攻城をテーマにしたユニークなマンガである。

主人公の歴女?は“なわばりちゃん”という名前。
なわばり=「縄張り」とは城造りのことである。


墨攻 (8) (小学館文庫)

墨攻 (8) (小学館文庫)

戦国の堅城―築城から読み解く戦略と戦術 (歴史群像シリーズ)

戦国の堅城―築城から読み解く戦略と戦術 (歴史群像シリーズ)

このジャンルではいくつもの名著があるが、このマンガの特徴は

攻城戦の解説×実際の攻城シュミレーション

という2つの要素をマンガの中に盛り込んでいることだろうか。

シブすぎ技術に男泣き!

シブすぎ技術に男泣き!

作者はちょっと珍しい理工系マンガ家さんである。
日本の城造りを日本の技術文化の原点ととらえているようだ。

半月曲輪、石落とし、空堀、畝状竪堀、逆茂木、泥壁、障子堀、虎口…


縄張りに結集された無名の人々の智慧に脱帽である。

残念ながらストーリーも絵柄も、笑いも、アイディアも全体的にもうひとつという感がある。

これから続く歴女系マンガ、理工系マンガの礎として大事にしたい作品である。



ソクラテス・イエス・ブッダ―三賢人の言葉、そして生涯

ソクラテス・イエス・ブッダ―三賢人の言葉、そして生涯

産経紙の書評で面白い本を見つけた。


ソクラテスもイエスブッダも実在しなかったというのが主張らしい。


その是非はともかく最近はブッダについてまことしやかにいろんなことが言う方があるが私はどうも釈然としないことがある。

ブッダはなぜ女嫌いになったのか (幻冬舎新書)

ブッダはなぜ女嫌いになったのか (幻冬舎新書)


高々70年前の戦争について、占領軍による日本の非軍事化政策と左傾教育と偏向マスコミによってあたかも暗黒の歴史としたことを忘れてはならない。


私はいつもそのことに抵抗を覚える。



経験者を指すベテラン(veteran)とは古参兵や兵役経験者のことである。

アメリカでは11月11日はベテランデーである。


戦争で亡くなった兵士や国家の為に戦った兵役経験者に感謝と祈りを捧げる。

『国家の政策が間違っていても、やはり国の為に戦った人々は立派である』という価値観を多くのアメリカ人が共有しているのは素晴らしいことだ。



一方、日本では戦争と名のつくものは徹底的に否定されるという風潮が長く続いた。
そして国民の多くが未だこの巨大な洗脳システムから抜け出していないのは残念なことだ。

閑話休題

何が言いたかったかというと、高々70年前の戦争についてすら正しく認識できないのに、2500年前に生きていた聖人についてどれくらい理解できるだろうかということを考えてみてはどうだろうか…と言いたいのである。

ましてや人類最高の聖人の精神的境地や内面性について私達はあまりにも軽々しくいろんなことを言ってはしないかと思うのである。


2500年前に北インドという異文化で暮らしていた聖人のことなんて、正しく分かる訳が無い。
という意味で私は「お釈迦様は存在しなかった」と言っていいと思うのだ。

ではなぜ私達が過去の歴史について理解しえたと思うのだろうか。

それは自分達の知識や先入観をいつの間にか対象に投影して知っているつもりになっているにすぎないのである…と言っては言い過ぎだろうか。

果たしてお釈迦様は存在されたのだろうか?



【おまけ】

かなり面白いです!
「サラリーマンNEO」の「サラリーマン歌舞伎」
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00397/v09402/v0991200000000542335/?auto=0
10日からいよいよ第6シーズンがはじまります。
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飯田史彦先生が被災されたとの情報があり現在確認中です。

「生きがいの創造」シリーズの著者である飯田史彦先生の講演会を舞鶴で開催することが決定いましました。
期日は10月23日(日)。主催は舞鶴東仏教会です。詳細が決まりましたら、当ブログにて告知を行います。

[決定版]生きがいの創造

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当山所蔵の快慶作“深沙大将立像”は7月16日から28日まで奈良の国立博物館に出展されます。その前後は不在となりますので、当山の仏像を拝観希望される方は御留意下さいませ。
『天竺へ 三蔵法師3万キロの旅』
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2011toku/tenjiku/tenjiku_index.html