和尚、ベルサイユ宮殿にて顔色を失う
昨日は法務で関東へ。
訪問したお宅は、お寺と歴史上の縁故の或る方である。
この方の御自宅は外見は瀟洒な、それほど目立った印象は受けない。
だが一歩中に足を踏み入れると膨大な美術品や工芸品が所蔵されている。
取り分け応接間は圧巻で御主人が若い自分から世界中から集められたという家具、彫刻、美術品、絵画、陶磁器などなどがところせましと並べられている。
初めて訪問した時は圧倒されて声も出なかった。
だが何度か訪問するうちに、そこがとても心地よく感じられようになった。
一流にものに囲まれて静かに時間が流れるというのはいいものだな…と思うようになったのだ。
侘び寂び的な<物が無いという>という美意識もとても共感できるが、一級の品々に囲まれるのもやはりいいものである。
実は侘びや寂びという観念は明治以降に西欧に対抗するために大きく強調されるようになったように感じる。
豪壮、絢爛、典雅という価値観は日本文化のひとつのベースになっていると思っている。
何よりここの御主人に成り金的なスノッブさが微塵もなく、純粋な審美眼に従って品々を集め、愛でられているというのが大きいのだろう。青山二郎や白洲正子を思いだす。
私も訪れる度に時間が経つのも忘れて何時間も話し込んでしまう。
不思議な空間である。私はこっそり“ベルサイユ宮殿”と呼んでいた。
今回はお寺に関する案件があって訪問したのだが、それでも室内の品々について収集され時のエピソードなど伺っていると時間があっと言う間に過ぎてしまう。
高価な品々なので勧められても絶対に手を触れなかったのだが、そのうち御主人の言われるままに手とって見ると、やはり面白い。
一級の品物の持つオーラのようなものを感じるのだ。
それを手にとって賞翫できるというのは愉しいものである。御主人のコレクションについつい夢中になってしまった。
座って話している応接セットは応接間の中央にあった。
外国の骨董品らしく、背もたれの後にさらに仏像の光背のような金色の飾りがついている。ものすごい存在感があった。
私の座っている後ろ側に精巧な彫刻を施した家具があった。フランス貴族のお城にあった家具で、天板になっている大理石の分厚い一枚板の上にもぎっしりと大小の品々が並んでいた。
中でもひときわ目立つ綺麗な赤色の陶器があり、その話になって「是非、手にってご覧ください」と言われた私は思わず、身体をひねって背後の陶器に手を伸ばした…
ボキッ!
と音がして、座っていた椅子の金色の光背が折れた…
… … …
…
…
折れた … 折れた … 折れた…
…私の中でしばらく時間が止まりました。
御主人の顔を見ると、ニコニコしながら。
「それ最初から折れてるんですよ」
と言われるではないか。
よく見ると折れた辺りに紙粘土かボンドのようなものが見えた。
ごく簡単に接着してあっただけらしい。
「切腹してお詫びするところでした」といったら身をよじって笑われた。
昼過ぎに訪問して、ホテルに帰ったら夜9時を過ぎていた。
そこに居合わせた方がここは竜宮城みたいですねと言われたが、確かに浦島太郎のように時間の経つのを忘れた。
これからはベルサイユ宮殿ではなく、竜宮城と呼ぶことにした。
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