平家とピラミッド

一月には5回の祈祷会があるが、明日は大浦の中田地区での祈祷会である。

一昨日の祈祷会では痛飲してしまい失敗したが、中田地区ではお酒は出ないので一安心である。



中田地区から道路を挟んだ向かいの一帯はかって海兵団があり、戦後は引揚援護局の置かれた場所である。

中田地区自体も戦争の推移にともなって軍により強制的に移住が進められたという歴史を持つ。
複雑な歴史を持つ地域である。



この中田地区に隣接した一帯を平(たいら)と呼ぶが、平家にゆかりのある土地であるらしい。


本日から大河ドラマ平清盛」が始まったが、清盛もここら辺を闊歩したことがある…などと想像すると愉しい。


かっては奢り高ぶる平家を正義の源氏がやっつける…みたいに描かれることが多かったが、最近、いろんな資料を観ていると平家は無骨だが、実直であり、それに対して源氏は怜悧な印象があるが、実際のところはどうだったのだろうか。



歴史というのは我々の想像を刺激してやまない。




現在、日本の早稲田大学吉村作治教授を中心にしてエジプトのピラミッド周辺での発掘がすすめられているが、


これほど研究がすすめられているにも関わらず、「エジプトのピラミッドが何の為に作られたか」ということが謎のままだというのである。私にはそのことが不思議でしようがないと感じることがある。


ピラミッドの建設というは国家を挙げての巨大プロジェクトであり、「何の為にピラミッドを作るのか」などということなど当時なら10歳の子供に聞いてもわかったはずである。そんな基本的な史実すら分からない…歴史というものの不思議さを時々想う。



今朝の京都新聞の一面に銀閣寺の往時の模型(一部)が製作されて、銀閣寺に奉納されたというニュースが掲載されていた。

下記に記事に写真が掲載されているが、往時の銀閣寺は外壁に漆が塗られ、絢爛たる極彩色の紋様が施されていたという。

京都新聞関連記事】http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120108-00000002-kyt-l26



日本人は古いものを愛でると同時に新しいものにも惹かれる。


歴史的文物というのは“古いもの”の範疇に入れられがちである。

だが今は古び、荒び、閑寂の中にある歴史的な文物も歴史の最先端にあってはもっとキラキラと光輝く光彩を放っていたはずである。

人々の逆巻くエネルギーを受けて、躍動していたはずである。


それらが数百年という時を経て、光を失い、静かで穏やかな骸(むくろ)となったものを歴史だと思いがちである。


これから100年後、或いは1000年後、私達は何を残せるだろうか。
そして残されたものから未来の人々はどんな想像をかきたてられるのだろうか。
そんなことを時々想像する。




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