「山賊ダイアリー」  白河法皇のこと 

山賊ダイアリー(1) (イブニングKC)

山賊ダイアリー(1) (イブニングKC)



先日、出先で「イブニング」を読んだら、「山賊ダイアリー」という漫画を発見。


作者は地方都市に暮らす猟師兼業の漫画家さんである。
狩猟の実際が事細かに書かれていて興味深かった。
生き物を狩り、殺傷し、喰らう…それらについての重い、しっかりした生活感が伝わってくる。


当節の漫画というのは私が暮らしているような地方都市の生活とは無縁な内容が多いが、この漫画だけはリアリティが在り過ぎるくらい有る。


白河法皇―中世をひらいた帝王 (NHKブックス)

白河法皇―中世をひらいた帝王 (NHKブックス)


『一般的には平安後期というのは、旧仏教が頽廃・堕落し、僧侶たちがほんらいの学問をわすれて強訴などのむちゃな行動にはしった時期だと考えられている。しかし、平氏の研究によると、そのような考え方もあやまりであり、歴代の法皇による造寺造仏、さまざまな法会の創出、荘園寄進による仏法興隆策によって、比叡山延暦寺を中心にその学問的水準がむしろいちじるしく高まったという。のちに、叡山で修行した法然親鸞、あるいは栄西道元や、天台宗と深くかかわった日蓮などが、その独自の教学を開花させていくことができたのは、おそらくそのような学問水準の高さゆえであろう。』(美川圭「白河法皇」)



歴代法皇による造寺造仏とは膨大なものであったらしい。
藤原宗忠は自らの日記「中右記」に次のように記している。



『或る人談じて云ふ、本院年来の御善根。
絵像五千四百七十余体、生丈仏五体、丈六百廿七体、半丈六六体、等身三千四百五十体、三尺以下二千九百卅余体、堂宇、搭二十一基、小塔四十四万六千六百卅余基、金泥一切経書写、此外秘法修善千万壇、其の数を知らず。』



「金泥一切経」とはいわゆる「大蔵経」、すなわち仏教聖典の集大成を書写するという膨大な作業であるし、造寺の代表には80メートルに及ぶ九重塔を擁する法勝寺が挙げられるだろう。院政時代、とりわけ白河法皇が仏法隆盛に果たした役割は大変に大きい。




当山の堂宇の建立もこうした白河法皇の造寺造仏のひとつであったらしい。


少し気になっているのが当山復興の理由が白河天皇の眼病平癒に効験あった故とされていることと、本尊の波切不動尊が新たに造仏されたのではなく勧請されたものであったということである。


様々な寺院の歴史を見ると眼病にありとして信仰を集めた…といった記載が眼に着く。


これはどういうことなのだろうか。
往時の日本が眼病治療の医学が未発達であったのか、日本の風土病的な眼病にあったのか。

出典を失念したが開化期に来日した外国人の手記に日本には極めて眼病の患者が多いという趣旨のものを読んだ記憶がある
。眼病平癒と仏教は何か深い関係があるのか…少し気になっている。


千年以上の寺歴史のなかで判明していることは僅かにすぎない。
寺史として伝えられている僅かなことがらをを紐解き、漫然たる読書と繋ぎ合せることは愉しい作業である。


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