こんな住職は嫌だ 汝自身これ也
【三重塔の屋根から落ちた大量の雪で柵の一部が倒壊(涙)】
本日の午後は庫裏の屋根の雪下ろし。
梯子を使って屋根の低い位置から屋根に上がり、
スコップでかいた雪を下に投げおろしたら、いきなり…
ドッドーン!
と大きな音が…
庫裏の下にあった軽自動車の屋根に雪の塊を落としてしまったのである。
屋根に堆積した雪が多くて下の状況が分からなくなっているのである。
慌てて下に降りた。
幸い車に損傷はないようだったので、車を移動させてから除雪を再開した。
数日前に兼務寺院の役員さんから除雪の申し出があったので電話で除雪場所を伝えてあった。
だが、夕方に兼務寺院に見回りに行った老僧にお小言を頂戴した。
こういう作業ではきちんと住職が出向いて監督しないといけない…
それから午後は屋根の雪が落ちやすくなっているので午後は屋根に登るべきではない…
一々尤もな指摘である。
私ももうよい歳なのだが住職としてはまだまだ半人前である。
住職への道のりは長いのである。やれやれ…
月刊寺門興隆 2010年8月号 (No.141) (寺院住職実務情報誌)
- 作者: 興山舎
- 出版社/メーカー: 興山舎
- 発売日: 2010
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昨日はお坊さん専門誌「寺門興隆」をパラ読み。
この雑誌にはお坊さん向けの法律相談コーナーがあるのだが、載っている事例に
「住職の所業が住職として失格なので檀家総代が裁判所に訴えれば解任してもらえるか」
という物騒な趣旨の質問があった。
『某寺の住職が財産を私し、葬儀や法事を怠け、総代会を無断欠席するので本山に懲戒を求めてもとりあってもらえないので、裁判に訴えたい。裁判によって住職を解任してもらえるか』
これは某寺の檀家総代から隣寺の住職に質問があって、隣寺の住職を通じてこの法律相談に掲載されたのである。
確かにこんな住職ではあんまりである(苦笑)
ちなみに住職の地位は宗教上の信頼関係という特殊なものなので事件性や法律性がないために裁判所で審理することはできないそうである。
仏教学者として名高い奈良康明氏の連載を毎回読んでいる。
今回は考えさせられる内容だった。
人生に数え切れない不運に見舞われ続けて人生を終えた方がいた。
その方はある時期から観音信仰に目覚めた。
当初は自分の不運を嘆き、仏に愚痴をこぼしていたのに
やがて次のように言われたという
「観音さんを拝むということは、愚痴をいうことでもなければ、頼みごとをするのでもない。自分を拝むことなんですよね」
人生に数多の不運不幸に出逢いながらこういう心境になることが難しい。
だが、「仏を拝むということは自分を拝むことである」というのはとてもとても正しい結論であるように思う。
私も少しでもそうした心境に近付きたいと思う。
理屈としてそう言うのは簡単である。
だが実人生を生きた結論としてこの答えにたどりつくのは容易ではない。
奈良氏は江戸初期の曹洞宗の禅僧天桂伝尊の次の言葉を紹介しておられる。
「観自在とは異人にあらず、汝諸人これ也」
【オマケ】
簡単ですが結構効きます。サッサッとやらずじんわり、ゆっくりやるといいみたいです。
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