歌姫昇天す タヌキ寺のご褒美は 「絵巻物見る庶民生活誌」

ホイットニー・ヒューストン死去。

スコーンと抜けた感じが日本人には羨ましい。

きっと天国で聖歌隊に入る為に出かけたに違いない。合掌




本日は法事2件。


法務が終わって山寺に帰り、庫裏の脇に車を止めると裏山から鹿の声が聞こえた。


まだ午後三時である。


餌を探して活発に走り回っているらしい。




山門の辺りを振り返ると黒いシルエットが横切った。


タヌキである。



【こうして見るとタヌキの体色は見事な保護色であると感心させられる。】


久しぶりにタヌキを見て嬉しかったのでカメラを持って山門へ。



動物好きの老僧が目ざとくみつけて「土塀のところにタヌキがいる!」とちょっと興奮気味…



山門の両脇に白壁がある。

白壁の上に屋根がついているので白壁の下の地面は雪が無い。

タヌキは露わになった地面の上を行き来しながら懸命に餌を探していた。

タヌキはまだ幼いのかそれとも餓えて痩せているのか随分身体が小さく見えた。


何枚か写真を撮ることに成功。



撮影の御礼に法事でもらったお弁当に入っていたエビ天2尾とお饅頭を通り道に置いておいた。


寒い冬はあともう少し。がんばれよ!


【タヌキの耳の周りは体色が濃くなっていることに初めて気が付いた。
なかなか可愛い。】



絵巻物に見る日本庶民生活誌 (中公新書 (605))

絵巻物に見る日本庶民生活誌 (中公新書 (605))



絵巻物を見ていてしみじみ考えさせられるのは民衆の明るさである。それは画家が画面を美しからしめるための工夫からそのように描いたのであろうか。私にはどうもそう考えないのである。絵巻物ではないが「扇面古写経」に見えたひとたちの生活は質朴であり、健康そのものである。泉のほとりで洗濯している女たち、髪を洗う女たち、水を汲む女たち、栗をひろう女たち、摘菜しつつ野に遊ぶ子供たち、水のほとりで遊ぶ子供たちのゆたかな肉付きと明るい表情とは、そのまま日々の生活を楽しんでいる思いがする。

                    宮本常一 『絵巻物に見る 日本庶民生活誌』


絵巻物を資料として往時の生活や習俗を考察した本である。


歴史というものの常として私達の想像を超えた庶民の生活がある。
そのことを活き活きと実感させてくれる。

図版が分かりにくいのが欠点か。
もう少し鮮明だと申し分なにのだが。


最近、気になっている「参籠」についても記述がある。

「たとえば参籠して神仏の加護を受けるというのは。けっきょく夢を見るということではなかっただろうか。その参籠も身分によって貴族はよい部屋を与えられ、身分が下がるにつれて本尊の前で眠り、供人は堂の扉にもたれかかって眠った。」


取り上げられているのは「石山寺縁起」である。

貴人は几帳を巡らしたよい部屋で休み、供の者はお堂の扉にもたれかかって眠っている様がよくわかる。

まだパラ読みしかしていないがまことに興味の尽きない本である。



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