君の名は 青山ありやなしやなしや 



娘は親が驚くほど言葉を操るようになった。


ちょっとした助詞の使い方とか語彙の選択に感心することがある。


だが…


「何歳?」と尋ねると「2歳」と答えるのだが、


「お名前は?」と聞いても


「2歳」としか答えない…


語彙も相当増えたのに自分の名前が答えられないというのは奇異な感じがする。


案外、わざと間違えて答えているのかもしれない。


娘はワザとボケをかますことがあって、「歯を磨きなさい」というと、歯ブラシで鼻の下を磨いたりするのである。


これなどは立派な確信犯である。


ならばもう少しボケのレパートリーを増やしてもいいのでは。
(といつものように暴走する父親)


ザンバラ髪が落ち武者みたいにみえることがあるので、いっそのこと「お名前は?」と聞かれた時に



「落ち武者」



と答えさそうかと思案中。




本日は兼務寺院の多禰寺にて留守番。


GWだというのに相変わらずお参りが少ない…


本堂の避雷針が冬の大雪でたるんでしまったので妹夫婦に手伝ってもらってなんとか補修。


落ち武者つながりだが、避雷針のそばに平家の落ち武者の供養塔とされるものがある。


もっとも山の麓の地名が平(たいら)であることから落ち武者というのは後世の付会で、平家ゆかりの人物の供養塔だと考えている。


この供養塔は平の海の近くにあったものを移築したものである。


貝と羊の中国人 (新潮新書)

貝と羊の中国人 (新潮新書)


今春からNHKテレビ講座で中国語を学び始めた。


テキストに明治大学加藤徹氏のコラムが載っていた。


なかなか考えさせられる内容で、少し要点を書いてみる。


テーマは「留得青山在,不怕没柴烧」という故事成語である。



この言葉は「山の雑木林が残っていれば子子孫孫まで炊事や暖房の薪に困ることはない」、
「地味でも技芸を身につけていると生活を助けてくれる」などの意味だそうである。


人は美田(肥沃な田んぼ)を求めるが、一見、地味な里山は大切である。


バブルに踊って、人生を狂わされた人、周りが羽振りが良い時にコツコツ働いて、最後に生き残った人々の対比はこの例かもしれない。


第二次大戦で都市は焼け野原になったが、農村の産物と海産物が国民の命をつないだ。


農林水産業というのはどの国にとっても青山であるはずだ。


お参りに来られたサラリーマンの方とお話したら、堅実だった大手企業の社長がアメリカ式の経営に切り替わってから、効率や数字だけを求めるようになり、人材を育てるという社内の気風がどんどん失われつつあると嘆かれていたのを想い出す。



日本の企業は世界で一番、企業の寿命が長い。


日本の企業のなかには農業で培われた、じっくり根気よく、人と物を作ってゆくという姿勢があるのだろう。年功序列という考え方ももう一度再評価されてもいいだろう。


時々、お坊さん専門誌に広告の載っている寺社建築のエキスパート「金剛組」の創立は578年である。


6世紀から続く会社ってのも…


【日本の世界一】http://www.nipponnosekaiichi.com/


閑話休題。此のエッセイは次のようにしめくくられている。


『地味でも再生可能なリソースをもつ者は強い。たいていの人間は、自分なりの「青山」を持っている。ただそれに気づかず、ないがしろにしているだけだ。あなたの「青山」は何だろうか』


なかなか考えさせられる言葉ではないだろうか。


平家というと落ち武者というのが決まり文句だが、当時は氏族社会の脈々と受け継がれた時代である。
自分の遠い縁地に落ち着いたり、逃げおおせた平家の人々も多かったのではないだろうか。


これもまた「青山」の例かもしれない。



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