梅雨までに 我、唯足るを知る
これからしばらく雨模様とのこと。
山寺なので雨樋に落葉や小枝だが溜まることが多い。
梅雨になって雨が増えると、塞がれた雨樋から雨水が溢れるので、本日は雨樋の掃除。
落葉はすでに腐葉土と化しているところもあって、もみじや椎の苗が双葉を出していた。
高い位置は梯子が完全に届かないので、樋の下から手探りで落葉を掻きだしていたのだが、中からムカデが出て来たので、げんなりした。
丸々と太った甲虫の幼虫がでてきたり、雨樋の中にひとつの世界ができつつある。
庫裏の前の池を覗いたらカエルが20匹あまり蓮の上にあがっていた。
これから雨がふったら天を仰いで鳴くのだろうか。
午前中、法務が一件。
お経を上げようとしたら全然声が出ないので少しびっくりした。
まだ風邪が完治していないらしい。
読経するというのも意外に気合や体力の要るものなのだと実感した。
倉庫の横にある桃の木の枝か倉庫の屋根にかかって屋根を傷めそうだと家人に言われて、梯子をかけて、屋根に登る。
桃の木は曲がりくねっていて重心の位置が良く分からないまま切ったら、殆どお約束的に私のほうに大きな枝が倒れてきて、枝と一緒に梯子から落ちた。
少し危なかった…
- 作者: 小出裕章
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連日のように大飯原発の問題が取り上げられている。
電気というのは貯めておくことができない。
電力不足の時、節電するのは当然として、では電力供給に余裕が在る時に貯めておくことが出来ない以上、どんどん使って、生産と消費のサイクルを挙げるのが良いのだろうか。
それとも節電を行う以上、余っているからといってどんどん使うのは良くないというのも一理ある。
この2つの考え方があると思うのだがどちらが正しいのだろうか。
当山でも毎年、秋にライトアップを行っていて、秋については電力供給に余裕が在る旨説明を受けたのだが、やはり一番、消費的なライトアップという行為は遠慮したいと思ってお断りした。
舞鶴市は今でもクレインブリッジのライトアップを行っているが、美観のための電力消費というのを是とすべきか未だに結論が出せずにいる。
先日、小出裕章氏の「原発のウソ」を読んだ。原発と電気をめぐる問題はなかなか一筋縄でいかないと痛感。
大飯原発をめぐる問題はますます眼が離せなくない。
安全な地球環境を子供や孫に引き渡したいのであれば、その道はただひとつ。「知足」しかありません。代替エネルギーを開発することも大事ですが、まずはエネルギー消費の抑制こそ目を向けなければなりません。(小出裕章氏「原発のウソ」)
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