もみじと追いかけっこ 「預言者」 秋の句



本日は曇り時々雨。
明日から5日連続降雨との予報。


折角、昨年よりもみじが綺麗になったのに、雨天が続いてはもったいない。


自然との出逢いは一期一会である。


参拝の来られた方をお話するとリピーターの方も多い。


「前回は少し来るのが早すぎた」「前回は来るのが遅くて散っていた」などと言われる。


良い時期に、良いもみじを見て頂けるのは難しい。それだけにいろんな出逢いがあるのだろう。



今日も午前中の雨天に一瞬晴れ間が差すと、参道のもみじが輝いた。だがそれも僅か数分で、また曇天の鈍い光の中に消えてしまった。


自然とは儚くも美しい。


預言者 The Prophet

預言者 The Prophet


密林の古書に注文したカリール・ジブランの詩集が届いた。


100年近く前に書かれたものだが、アメリカの知識人家庭には必ずといっていいくらい置かれているという。非常に繊細で深みのある言葉が綴られている。ただ、翻訳があまり上手くない気がするが…



喜びは悲しみが仮面をとったもの。
笑い声がわき出てくるのと同じ井戸から、涙のあふれることも多い。
                     「喜びと悲しみについて」



人は苦しいとき、なにか必要なときに祈る。けれど、喜びにあふれたとき、豊かな日々にも祈ってほしい。
                     「祈りについて」


心が痛みを感じるのは、自分の理解の殻を破ろうとするときだ。
果物も、芯に陽を当てるためには、核を割らなければならない。同じように人も、痛みを知らなければならない。
 心が、日々の生活という奇蹟への驚きを忘れないなら、痛みも、喜びに劣らず、驚きに満ちたものになるはずだ。
                     「心の痛みについて」


「預言」とは神から言葉を預かることである。

何か人間の中に特別な力があって現わされるのが「予言」だと私は勝手に解釈している。

神から言葉を預かる人は素直で、自分が在ってはならないと思う。


傲慢であったり、自らを誇るものはニセ者である。


名俳句一〇〇〇 (ぶんりき文庫)

名俳句一〇〇〇 (ぶんりき文庫)


数日前におぜんざいを食べに来られたという方から絵手紙を頂いた。



こういう便りというのは嬉しいものである。
返信に何か気のきいた一句を書こうとして句集を読んでいたら、引き込まれてつい読みこんでしまった。

秋の句はやはりさびしく、じんわりとした余韻のあるものが多い。




秋草を出て秋草に消ゆる径(みち)       木下夕爾

抱き起こす子のあたたかな宵の秋        飯田龍太

女湯もひとりの音の山の秋           皆吉爽雨

此の道や行く人なしに秋の暮          松尾芭蕉



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