忙しくて寒い日に読書少々 中村元「慈悲」
午前中に法務3件。
引き続いて福井の日引の民宿で護持会の総会があったので参加。
本日は朝から断続的に雨。時々みぞれやあられが降る。
一軒の法事では強雨の為、墓参中止。
夜になって法事に行った檀家さんから電話があった。
「お経の入った袋を忘れてましたよ」とのこと。
経本をしまってある経袋をそっくり忘れてきたらしい。
最近、忘れ物が多すぎる…
- 作者: 中村元
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/11/11
- メディア: 文庫
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帰山してから少し読書。
中村元「慈悲」を半分ほど読む。
慈悲というのは美しい言葉だと思う。
愛という言葉に感じる情熱よりももっと静かで、深い、何かを感じる。
「愛」「共感」「慈善」「同情」…いずれとも違うのである。
この本の装丁がまた素晴らしい。
白一色に「慈悲」という言葉と著書名だけである。
慈悲という言葉の無垢な印象にぴったりとくる。
本書は名著の誉れ高い本とされる。文体は平明なで書かれていて分かりやすいのも良い。
帯に曰く「稀代の仏教学者が追求した仏道の根本概念、その出発点にして到達点」。
慈悲という仏教の基本概念を分かりやく語源や、西洋哲学の比較の中から解きほぐしてゆく。
智慧と慈悲は仏教の根本概念であり、最重要のものであろう。
語源的には「慈悲」と言う言葉は『慈』と『悲』という2つの言葉を併せたものであるとされる。
『慈』とは友愛、親愛を意味し相手を利益と安楽を与えるものであり、『悲』とは哀隣の情であり相手の苦を滅するものである。
「抜苦与楽」という言葉があるが、「慈悲」はそれに近いことになる。
しばらく前に何人かのお坊さんで話をしている時に「親族の死に面して深く悲しんでいる人にどういう態度で接するべきか」といいう話題になった。
ある住職は理を説くべきだと言われ、ある住職は相手の手を握って一緒に泣くと言われた。
どちらも正しい、全うな態度であろう。
慈悲のイメージは共に悲しむという正にその姿にある。
その一方で慈悲が苦を滅することをその役割とするなら、理を説き納得させることでも苦は無くなるのかもしれないという考えも浮かぶ。
自分ならどのような態度をとるだろうかと改めて考えた。
そもそもなぜ相手の悲しみを我がものとできるのか…実はこの点に非常に重要な意味があるように思う。
この点をじっくり考えながら読み進めてみたい本である。
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