セイント聖夜 「濁世の仏教」



数日前に娘が得意げにクリスマスツリーなるものを見せてくれた。




今日、気が付いたらさらにその数倍の大きさの本格的なツリーが鎮座していた。


ちゃんとイルミネーションも光る。





電飾が綺麗だねえ…




…って、ここは何処、私は誰……





ま、いいか…(←いつものパターン)



子供の時は寺の娘だろうとクリスマスを愉しくすごせば良いのである。




私だって子供の頃、老僧にクリスマスツリーを買ってもらった記憶があるのだから(笑)




謎の空海―誰もがわかる空海入門

謎の空海―誰もがわかる空海入門




少し前にブックオフにて三田誠広氏が空海について書いている本を見つけた。



私達の世代にとっては三田氏は芥川賞作品「僕ってなに」の作者だが、調べたら「蓮如」「空海」といった評伝も書かれている。
キリスト教についても造詣が深いとのこと。



濁世の仏教

濁世の仏教



数日前に中村元水上勉の対談集を読了。



水上勉氏は相国寺で得度され(後に還俗)、仏教への関心も深い。


禅宗で得度されたので書かれていることの約4割くらいは禅宗、特に道元さんのことなので、私としては中村先生にはもっと密教について言及して頂きたかったところ。


だが、いろんな面白い発見もあった。


夢窓疎石が数多くの作庭を為したことについて、こうした作庭は実は多くの庶民を動員することで救済事業的な役割があったのではないかと述べておられる。


忍性、行基空海といった傑僧達も土木事業を為したことで知られる。


こうした事業はその事業の過程で多くの庶民に一時的にでも職と食を与えることがでたのは事実であろう。


事業に携わることで、様々な技能を身につける者もでてくる。


或いは橋や灌漑池などの設備を長期的に維持するためにも、そういった作業に実際に携わった人達の経験が生かされたに違いない。




(そう考えると日本に数を多く作られた古墳も、公共事業としての役割があったのかもしれない。或いはその伝統の上に僧による公共的活動があったのか…)




本書のひとつのテーマは宗教に世俗化と純粋化というふたつの極があることである。


道元さんは世俗的権力に認められることを厳しく拒絶したことで有名である。



確かに世俗的権威に公認された宗教は大きく発展する一方で宗教自体の世俗化という宿命を担う。


道元さんは権力との関係を絶って極々少数への指導を志された方だが、意外にも現在の日本では最も寺院数の多いのが曹洞宗である。




この本を読むと、権力を排して純粋な宗教活動を目指した教団がいつしか大教団になる例もあれば、時の権力者のもとで盛行を極めた教団がやがて消えてゆくこともあることが分かる。


そもそも、名も無い辺地で純粋に宗教活動をしていた教団は無数にあったはずである。あるものは権力に逆らって抹殺され、あるものはその純粋さ故に世俗と交わりを絶ち、やがて自然消滅していった例も少なくないだろう。





お釈迦様は王子の身分を捨てて出家された。


古代インドでは宗教を志すものは出家することがひとつのパターンであったらしい。



ただキチンと子供をもうけて継嗣と為し、また残された妻子が困らないようにせねばならなかった。
従って出家するというのはそれなりに富裕な出自が多かったというのである。


お釈迦様は高貴な身分でありながら出家されたのではなく、高貴な身分だからこそ出家できた…その辺の話も大変に面白い。



本書は対談集の為、平易な文章だが実に興味深いテーマが縦横に語られている。



ブログランキ

ング・にほんブログ村へ
にほんブログ村←いつもご訪問ありがとうございます!
丹後の山寺の住職に応援のクリックをポチッとおねがいします(^人^)