禁断の入れ物 ポックリ死にますか?
寒さの底を抜けたようで残雪も殆ど無くなった。
妻が突如「『禁断の入れ物』作る」という…
………
えっ?『禁断の入れ物』…
怖い…
パンドラの箱みたいなものか…
よくよく聞くと…
幼稚園の入学準備に必要な「キンダー入れ」というバッグのことらしい。
この歳になって初めて「キンダー入れ」というものが存在することを初めて知りました。
幼稚園の案内書を見ると子供用のトートバッグのようなものが書いてあった。
妻は娘の為にネットでアンパンマンの生地を探したが軒並み売り切れだったとか。
この時期、全国のお母さんが一斉に生地を買い求めているのだろう。御苦労様!
ようやく少しレトロな感じのアンパンマンの生地が見つかりミシンにて「キンダー入れ」を製作中。
【フフフ…これが『キンダー入れ』なのですよ】
当然、娘がまとわりつくので私は娘を連れだし陽動作戦を展開…
薪割り機「剛力彩芽ちゃん」にて薪割りをさせたりなどしてます。
- 作者: 池上彰
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2012/07/19
- メディア: 単行本
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もう随分前に亡くなった方だが、重い病気に罹っておられることが分かってから、自分の亡くなってからのことを相談にこられたことがある。
その時の言葉で印象に残っていることがある。
自分は『ポックリ死にたい』と言っていたのだが、それは間違いだったと言われたのである。
自分が突然亡くなれば、家族はどれほど悲しむだろうか。
こうして自分が死ぬということがはっきり分かったおかげで、自分の死後のことについてもいろんな采配ができるし、何より家族や友人に分かれを告げ、感謝を噛みしめて残りの時間を過ごすことが出来る…
そんなことを言われたのだ。
死ということを考える時に、その方のことを時々想い出す。
この本の第2章はチベット仏教の高僧であるタムトク・リンポチェとダライ・ラマ法王という二人の高僧とのの対談にあてられている。
(ちなみに「リンポチェ」というのはセカンドネームではなく、日本で言えば「上人」のような尊称である。だから新聞なので「リンポチェ氏は…」などと報道されるのは間違いということになる)
タムトク・リンポチェは「心に満足感があれば死は安らかなものになる」と言う。
『死に直面しとき、私たち自身の心の中に満足感があれば、他の生きとし生けるものに対するやさしさと思いやりがあれば、あるいは、他の人の役に立ちたいという利他の心があれば、私たちの死は確実に安らかなものとなります。』(池上彰「池上彰と考える、仏教って何ですか?」)
この穏かな死のイメージは日本人にも受け入れやすいだろう。
この章を読むにあたって大切なことがある。
それは何かというとチベット仏教では来世という世界観は圧倒的な意味を持っているということである。
ダライ・ラマ法王もタムトク・リンポチェもただ修行を積んでその地位にあるのではなく、いずれも<高僧の生まれ変わり>として認定され、崇敬されているのである。
来世という考え方に従えば、死とは全ての終わりではなく通過点にしか過ぎないことになる。
死で全てが終わるという考えと、死が通過点に過ぎないという価値観のどちらが安楽な死の助けになるかといえば後者であろう。
輪廻や来世というのは現在の生とリンクしていて、現在の生の生き方、心の方向性といったものが死後の世界の方向を決定する。
したがって正しい価値基準で生きていればその死は安楽であるが、基準から外れると厳しいものになる。
死が通過点であるだけでなく、生前の善行が死後の安楽に必ずつながると確信できれば一層穏かな心境で死を受け入れられるようになるのではないだろうか。
そして昔の日本人のように輪廻も来世もすんなりと信じられない日本人にとって死というものがきわめてやっかいな問題となるのはある意味当然かもしれない。
【なんだか久々に重いテーマになってきました。まだまだ続きます…】
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