群青と翡翠の道  議員石の島へ

 
【夕方、市内のお寺の境内に散策にでかけました】





20日は市内の真言宗の大刹で法要があり近在の真言宗の寺院の住職が出仕した。



真言宗では弘法大師の祥月命日を御影供と呼び様々な行事が行われる。


20日の法要はその流れを汲む法要のひとつである。




法要の次第だけで2時間あまりかかる本格的なものである。



数百の塔婆が読みあげられ、併せて西国札所の御詠歌吟じられる。



御詠歌の名手として名高い真言宗の御住職が玲々たる美声で流暢に塔婆を読みあげられる。
その御詠歌に合わせて他の住職や御詠歌隊の方々も唱和する。



本尊の前ではこの寺院の御住職が粛々と塔婆を供養されていく



大刹に相応しい規模の大きな法要であった。



法要の後はJRにて広島の倉橋島にあるお寺へ。



このお寺の御住職は年齢こそ離れているが本山の同期生であり、
毎年、お手伝いに同期生が集う。




翌21日は山中にある八十八カ所を徒歩で巡拝の後、境内で壇護摩を焚く。





前日20日はかなり強い雨が降ったそうである。



ケガの功名というべきか。普段は黄砂やガスで視界の悪いことが多いのだが、
今年は気候の巡り合わせと前日の雨の御蔭で、今までにない視界の良さである。



空気が澄みに澄んでいるという印象である。



山系の樹林はどちらかと低い。樹齢の高い樹を一斉に伐採して整備した痕跡がある。



木立は手入れされない状態が続くと、常緑樹が増え、濃い、暗い色の木立になるが、
低木が多いと新緑の季節は見事な翡翠色の若葉が横溢する。



そしてミツバツツジが無数に咲いていて、その明るい色が色調に彩を添える。


時々、木立が切れると眼下に瀬戸内海が見える。


言葉や絵に表わせない美しさである。



パノラマのように長大な遠景と近景が取り合わされた光景である。
写真に収めることも難しい。



手持ちのカメラや携帯で写真を撮られた方は一様に首を傾げる。


眼の前の素晴らしい景色が写真に収まると、ひどく凡庸なものに感じられるのだろう。



大小の島影は距離によって濃淡がある。海の色は濃い群青から緑掛った色まで様々である。



浜辺の平地には民家が固まっている。
見下ろすと色取り取りのマッチ箱のような立方体を敷き並べたようである。



海の色、街の家々、周囲の山系の織りなす景色。


山道を歩いて新緑や春の草花に心を癒される爽快さと合いまってえも言われるの心地である。



今年で8回目の行事だが、今まで最高だったと多くの方が絶賛された。



八十八カ所を巡られた方が、「いろんなところに行ったが、こんな綺麗なところは無い」と思わずつぶやかれていたのが印象的だった。



八十八カ所の在る山は火山という名称である。



かっては活火山として活動していたことがうかがわれる。


所々に大きな火成岩の岩塊が露出している。



土壌自体も花崗岩が砂状になったもののようであった。



この近辺の花崗岩は特に選ばれて国会議事堂に使用されたことから「議員石」の名称がある。


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この近辺の花崗岩は綺麗な桜色の混じった花崗岩で珍重されている。


花崗岩御影石とも呼ばれる。


御影石はもともと神戸にあった御影町から産出された花崗岩を指していた。



現在、御影町から産出される石材は特に「本御影石」とよばれるそうである。


「御影町」とは何か宗教につながりのある言葉のようである。


少し調べたが町名の由来は分からなかった。



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