5月27日の奇跡 もし改正をいうなら
本日、5月27日は日露戦争における日本海海戦の戦端が開かれた日である。
明治38年5月27日から翌28日にかけての海戦で日本海軍がバルチック艦隊を撃滅したことは世界史上でも巨大な意義を持つ。
戦史を少し調べるとドッガーバンク事件※など偶然の重なりが日本に大きな勝運をもたらした。
※ロシアが誤って英国の漁民を殺傷し、英国に反ロシア的な世論が高騰。
イギリスの供給していた良質の燃料を確保できず、また船員への補給、休息が十分に得られなかったため士気が低下した。
信濃丸が夜間に艦隊の存在を探知できたのは一隻だけ灯火管制を守っていなかった病院船の灯火を発見できたことによる。
これなども奇蹟に近い僥倖といえる。
日本海海戦における日本の勝利はこうした僥倖の積み重ねのうえに得られたもので、
決して必然的なものではなかったのだろう。歴史の不思議を感じる
本日、法話を依頼された団体があった。
困ったことに宗門大学の同窓生の団体で、住職と在家の方が半ばするとのこと。
御住職が大勢おられるとなると一般向けの法話もできないし、
かといって在家の方もおられると御住職向けの話もしにくい…
2時間くらい悩んで、本日が日本海海戦の戦端に開かれた日だったことを想い出した。
男性というのは概して歴史の話が好きだし、
舞鶴も多いに関わりのある日本海海戦の話を少ししてお茶を濁そうと決めたのだが…
蓋を開けてみれば団体の約半数が女性で、男性向けに考えた法話はバルチック艦隊並みに撃沈…奇蹟はおこらなかった。
いよいよ憲法改正が具体的な様相を帯びてきたが
本日、産経紙1面に掲載された京都大学教授佐伯啓思氏の論説「戦後憲法 正統性あるか」(<『日の陰りの中で』)を読んでなるほど!と思わず三嘆。
論旨は単純にして明快である。
昭和27(1952)年の4月28日にサンフランシスコ条約の発効とともに日本は主権を回復した。
ということは昭和20(1945)年8月15日(正確には9月2日の降伏調印の日)から7年間は日本は事実上、主権を持たなかった。
憲法制定とは主権の最高度の発動である。
ところが日本には憲法を制定すべき主権がなかった…
その一事を以ってしても現憲法の正当性の基盤が極めて脆弱であったことになる。
言われてみれば確かにそのとおりである。
「今年の4月28日に政府は主権回復の式典を執り行った。ということは実は、政府が現憲法の正当性について、暗黙のうちに大きな疑念を表明したことになると了解すべきなのである。もし改正をいうなら、このような前提のもとでの改正でなければならない」と締めくくられている。
【記事全文】http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130527/plc13052703120002-n1.htm
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