ホタルの里 散るぞ悲しき 宮津より綾部をめざそう

懸案だった屋久島旅行が無事終ったが、旅行の翌日から葬儀を含めて何件も法務が続き

体がギシギシいいはじめた…

とりあえず昨日で法務もひと段落。一息ついたところである。





昨年、インターチェンジの近くに蛍が乱舞している場所があると先輩のお坊さんに教えていただき、今年も親子でホタルを見に行った。






護岸工事されていない川岸をホタルがゆっくりを舞う姿はなんとも美しかった。

何組か同じホタルが目的らしいグループに出会う。

こんな光景がいつまでもなくらないでほしいと願うばかりである。



山寺の山門まで帰ってきて、数日前に山門前の駐車場に野ウサギが居たのを思い出し、山門の向かいの駐車場に車をすすめたら奥のところに野ウサギが2匹いた。



車のライトに一瞬フリーズするも懸命に駆けていく姿が可愛かった。それをさらに車でおいかける私…



「ウサギ!ウサギ!ウサギがいるっ!」
と大興奮したのは娘よりも親達のほうでありました…




ホタルを見に行った出先で娘が道路の端に長い長い蟻の行列を見つけた。


山寺の庫裏でも夕方にこれまで一度もみたことないようなアリの大行列を見たので少しきになった。転変地変なんてことは…ないですよね。






散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道 (新潮文庫)

散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道 (新潮文庫)


密林の古書に注文した梯久美子「散るぞ悲しき」が届く。


本土防衛の最前線とされた硫黄島で壮絶な戦いを指揮した指揮官栗林忠道が妻子に充てた書簡を通して、硫黄島の戦い、栗林の行き方を取り上げたノンフィクションである。


アメリカで戦場でのたぐい稀な勇気を讃える名誉勲章第二次世界大戦の4年間を通じて海兵隊員に84個が与えられたが、そのうち硫黄島の戦闘で授与されたのは27個。


4年間の戦いを通じて与えられた名誉勲章の三分の一が僅か36日の硫黄島の戦いで与えられたのである。


2003年5月にイラク戦争終結を宣言したブッシュ大統領は演説のなかで「(イラクでは)ノルマンディ作戦の大胆さと、硫黄島での高い勇気が示された」と語った。アメリカにとって硫黄島は戦場における勇気の象徴なのである。


対する栗林中将は高い知性と合理精神によって戦い抜いた。


最後の突撃では自らも一平卒と共に突撃に参加している。最高指揮官は陣の後方で自刃することが慣わしだった日本軍においては全く異例のことである。その遺骸は未だに発見されず硫黄島にて眠りについている。


久々に重い読書だが考えさせられるものも多かった。






宮津市は子供を生める若い女性の数が京都府下でも飛びぬけて少ない…と宮津から参拝された方に伺った。


宮津市は観光にはお金を投資してきたが、生活や子育てなどへの配慮が足りなかったのではないかといわれている。


それでも行政は宮津マルシェなる商業施設を建設予定だが、典型的な箱モノとして批判が多い。






一方、綾部市は実にいろんな方から住みやすいところだという感想を聞く。


知り合いが綾部に転勤になり、初めて市役所に行ったらあんまりに庁舎が老朽化していてびっくりされたそうである。ところが中に入るとサービスが実にスムーズで二度びっくり。


綾部の市民病院は全国的にも珍しい黒字経営。


16年連続で黒字を記録しておりこれは全国的にも優良経営として評価が高い。


宮津といえな日本三景天橋立に代表される全国にしられた景勝地だが、暮らす場所として考えた場合、どうなのだろうか。

全国的には綾部より宮津のほうが知名度は高いが


有名=住みやすい

とはならない。

実際、宮津の人口は2万人を割り込んでいるのである。


有名になることより、暮らしやすいということを選択するのは当然ではないだろうか。


よそから来た人にお金を落としてもらうことより、まず地元の人が楽しく暮らせる地域作りをしてほしいと願っている。


よそから来るその地域がよくなることを願っているわけではないのである。





残念ながら舞鶴も綾部ではなく宮津のほうに向かっている気がする。



舞鶴でも赤レンガパークには既に数十億円が投入されているが、さらに毎年1億円近くがいろんな名目で投資されている。



もうちょっと考えてはどうかと思うのだが。



ブログランキ

ング・にほんブログ村へ
にほんブログ村←いつもご訪問ありがとうございます!
丹後の山寺の住職に応援のクリックをポチッとおねがいします(^人^)






.